カーラジオ

 残念ながら、予想通りだった。この2ヶ月近く自分でも驚くほど働いたのでいずれきっと不調にみまわれると思っていた。それも問題が片付いてほっとした頃に。又元々季節の変化する頃にトラブルが多い僕には今は鬼門そのものだ。昨日の午前中から腰が痛み始めた。ずっと足に疲労がたまっていて、このままでは腰に来るなと思っていた。バレーボールをしても、前に落ちるボールに飛びこむことに抵抗を感じていた。首のヘルニアの為に作っていた煎じ薬を早速飲んで、夜は薬局を閉めた後、友人のはりの先生に無理を言って治療をしてもらった。車で1時間かかる岡山市内で開業しているのだが、結局3時間色々な話をしながら治療してもらった。牛窓に帰ってきたのが1時だった。だからこのブログを書くことが出来なかった。折角開いて下さった方に申し訳ないと思ったが、倦怠感と睡魔で書くことが出来なかった。  カーラジオからジャズが流れた。家路を急ぐ人達の姿をヘッドライトが照らす。集団でファーストフードの店から出てくる若者達。その中に嘗ての僕がいた。あてのない時間を食いつぶす僕がいた。夢も希望もなかった僕がいた。街灯で照らされても顔がない僕がいた。背中を丸め心を閉ざしうつむいて歩く僕がいた。  青春は輝いてなんかいない。混乱した精神が混乱した肉体をもてあましているだけだ。創造より破壊の方が生産的なのだ。壊れた残骸の中に希望は横たわっていたし創造の息吹が聞こえていた。創らない事が本当は一番創造的なのだ。