カラスに勝った

 ついにカラスに勝った。この10日くらい、毎朝カラスと戦っていた。向こうは羽根を持って飛ぶことが出来るので、鳥とは言え、戦いにおいて妙に劣等感を感じていた。ツバメの巣の下で、棒を振りまわして電信柱の上のカラスを威嚇したり、手をたたいて早朝から大きな音を出し空を飛ぶカラスを脅したりと、その原始的な威嚇が照れくさくなるほどこちらに分がなかった。黄色の紙に大きな目を書いて紐でぶら下げていたが、ほとんどカラスの嘲笑の対象でしかなかった。それが証拠に、日増しに近寄ってくるカラスの数が増えていった。  丸々と太った雛を食べられるのは時間の問題だと思った。貴重な朝の時間を棒を振りまわして3時間薬局の前に立っていることは出来ない。去年はその場所をわずかに離れた時間に雛を襲われた。その教訓はあるけれど、去年の二の舞は避けれないと思った。  ふと思いついたのが、夏に使うすだれを薬局の2階から垂らして巣を被ってしまうことだ。空を飛ぶカラスの視界に当然入るだろうが、カラスは頭がよいから、状況の変化を考えるらしい。すだれを垂らした当日は一杯飛んできたが、近寄ろうとはせずに遠くから威嚇の泣き声を上げるだけだった。今朝は全くカラスの鳴き声は聞かれなかった。危険を察知して諦めたのだろう。その間をぬって、今朝成長した5匹の雛が巣だった。  正直ほっとした。別に自然の摂理に介入してツバメに肩入れをする必要はないのだが、どうしても弱いものにひかれてしまうのだ。  近畿地方の山の中で、生活に困窮した母親が子供を飢えさせて殺そうとした。いや、殺そうとしたのではない。一緒に消えようと思ったのだろう。殺すのだったら他の手段を用いるだろう。手をかけることが出来なかったのだ。きっと一杯愛していたのだろう。命を消して一緒に生きようとしたのだろう。どうして悲しいくらいの善人は助けての声をあげないのだろう。声さえあげれば、善意はすぐ気がついてくれるのに。ツバメの雛にでさえ哀れを感じる人間がいるのだから、人間にだったらいくらでも援助の手は差し伸べられると思うのに。とても残念なニュースだった。