脈拍

 中年期の安静時心拍数が、正常範囲内(50~100回/分)でも1分当たり75回を超える男性では、55回未満の人と比べて早期死亡リスクが約2倍に高まる可能性があることが、ヨーテボリ大学(スウェーデン)サールグレンスカ・アカデミーのSalim Bary Barywani氏らの研究で明らかになった。この研究では、50~60歳の間に心拍数が経時的に増加した男性では、死亡リスクや心血管疾患の発症リスクが高まることも分かったという。
 追跡期間中に、男性の約15%が死亡し、約30%が心血管疾患を発症した。分析の結果、50歳の時点(1993年時点)で安静時心拍数が75回/分を超えていた男性では、55回/分未満だった男性と比べて、その後の全死亡リスクと心血管疾患、および冠動脈疾患の発症リスクがいずれも約2倍に高まることが分かった。

 僕の脈拍はずいぶんと便利で、毎分60をキープしていた。ところが牛窓に帰った頃から、40台になった。これで困ることはないのだが、なんだか頼りない。止まるのではないかと思うようなこともある。原因は何か分からないが、まるで副交感神経の塊のような気がしていた。気持ちは結構いらで潔癖なのだが、なにぶんからだが原付バイクみたいで、動かない。気持ちでずいぶんとカバーできるのだが、それでも次の血液がなかなかやってこないのだから、臓器も動きようがない。無理をすれば失神しそうになるが、逆にちょっと無理をしたときに心臓の拍動が増すと人並みに行動できた。上記の研究結果を見て、55回以下に当てはまるから喜ぶべきかもしれないが、僕のはほとんど「遅脈」の範疇だから、これはこれで危険だ。
 哺乳動物は生涯で拍動数が20から23億回と決まっているらしいから、僕みたいに少ない人間は永久に生きそうだが、その前に失神しそうだ。日々いろいろ医学的な知見が披露されるが、医学や科学よりも自然に即してと言うほうが僕にはあっている。人生100年時代なんて恐ろしすぎる。

 

頻度

 日本人の一般集団では、日常生活の中で笑う頻度が高いほど全死亡率や心血管疾患の発症率が低い可能性があることが、山形大学医学部看護学科教授の櫻田香氏らの検討で分かった。心筋梗塞脳卒中を減らし、早期死亡リスクを低減するためには、日常生活でもっと笑う機会を持つことが鍵となる可能性があるという。
 これまでの研究で、ポジティブな心理的要因は長寿と関連するのに対し、抑うつや不安、心理的苦痛といったネガティブな要因は心筋梗塞脳卒中などの心血管疾患の発症につながる可能性が示唆されている。櫻田氏らは、心理的要因のうち「笑い」に着目。山形県の一般住民を対象に、毎日の生活の中で笑う頻度と死亡率および心血管疾患の発症率との関連について前向き研究を実施した。
参加者には、毎日どのくらい笑う機会があるかを尋ね、その頻度で3つの群「週1回以上」「週1回未満~月1回以上」「月1回未満」に分けて比較検討した。
 年齢や性、高血圧、喫煙や飲酒の習慣で調整したCox比例ハザードモデル分析の結果、週1回以上笑う人と比べて、笑う頻度が月1回未満の人では死亡リスクが約2倍に高まることが分かった。同様に、週1回以上笑う人と比べて、その頻度が週1回未満~月1回以上の人では心血管疾患の発症リスクは約1.6倍であった。
  櫻田氏らの検討では、特に男性や飲酒の習慣がある人、糖尿病患者、運動不足の人、配偶者がいない人で笑う頻度が低かったという。今回の結果を踏まえ、同氏らは「日本人の一般集団では、“笑い”は全死亡や心血管疾患発症の独立したリスク因子である可能性が示された。心血管疾患を減らし、長寿を目指すには、日常生活でもっと笑う機会を持つ工夫が必要かもしれない」と述べている。

 目新しい知見のようには思えないが、この文章の中で僕がいちばん興味を持ったのは、笑う頻度の設定だ。「週1回以上」「週1回未満~月1回以上」「月1回未満」こんな大雑把な区切りで結果の信頼性が得られるのだろうか。僕の常識では「週1回以上」実際は2回、いや7回でもほとんど笑わない範疇に入ってしまうのだが。これで笑う人に分類されるなら、ヤマト薬局を利用する笑わない人でも、よく笑う人に分類されてしまう。もし僕の薬局で笑う人を区分しろと言われたら、薬局にいる間に数十回笑う人になってしまう。僕は笑わない人でも、薬局にいる間にできるだけ笑ってもらうようにするから5回やそこらほとんどの人が笑う。40年薬局をやっているが本当に片手も笑わなかった人は、それこそ片手もいないだろう。
 と言うことは、僕の薬局を利用する人は死亡率や心血管疾患の発症率が低いと言うことになる。道理で病院にはめったにかからず、かかっても飲む薬は極端に少なく、最後の最後にやっと施設に入る人が多い。どうやらこれは僕の漢方薬の力ではなく、「板切れ一枚下は地獄」の日々を送っている漁師たちが緊張感を解くために交わすギャグだらけの会話の中で育ったおかげかもしれない。
 ただ、ひとつ気になる事がある。それは、この研究が笑った人のものであって、笑わせた人のものでないことだ。だが、僕は一緒に笑うから、この対象の中に入れてもいいのかもしれない。

 

悪夢

 かなりの動悸で目が覚めたから、夢の中で相当慌てていたのだろう。それはそうだ、ぜひ乗らなければならない新幹線で、どの扉も開かないのだから。新幹線の扉を開けて乗るという経験はないから、そもそもどうやったらドアが開くのか分からない。だから無理やり指をかけて開けようとするがそんなもので開くはずがない。そうこうしているうちに何故か乗り込むことができた。ただ、目的地とはまったく異なるところに行く新幹線だった。そこであがいても仕方ないので諦めたあたりで目が覚めた。
 僕は患者さんとの問診で悪夢を見るかどうか尋ねることがある。まさに僕が昨夜見たのは悪夢だ。激しく打つ脈は結構しんどかった。悪夢を見るほど追い詰められているのかと自分でも不思議なのだが、その自覚はない。数ヶ月前、力量を超える数の漢方薬を作っていた頃にも同じようになったが、今はほどほどのバランスを保って気力体力を超える仕事はしていない。それなのにどうして悪夢を見てしまうのだろう。
 新幹線の登場には確かに理由があった。昨日福山のバラ祭りに9人のベトナム人を連れて行ったときに、もし体調がよくなければ一人で新幹線で帰ってやろうと決めていたのだ。1時間のところが15分で帰る事ができるから、急を要すれば避けられない選択肢だ。行く前からその程度の心の準備をする必要があるくらい、何が起こるかわからないくらいの年齢になたってことだ。日本の文化や風習などをできるだけ多く経験してほしいと思う反面、いつまでこんなことができるのかと言う不安が常に交錯しているのが最近の実情だ。その不安感のなせる業が昨夜の悪夢だったとしたら、すでに意義を不安感が圧倒しだしたってことだろう。若かったら何も心配することがないのに、若くないから何もかも心配に変わってきた。同じように食べ、同じように歩き、同じように笑っても、内実はボロボロ。誰もが通る道は、結構険しい道で、よく先人たちはそれを口にせず堪えていたものだと感心する。遅かれ早かれ誰も避けられないから、覚悟の日々だったのだろうか。
 悪夢はやがて、悪夢のような日々に変わるだろう。

福山

 福山はバラだらけ。福山はベトナム人だらけ。
 何年もバラ祭りにベトナム人を連れて行っているが、バラの充実振りには目を見張るが、バラだらけで、そんなに花に興味がない僕にはいささか食傷気味だ。もっとも花大好き人間のベトナム人は歓声を上げるくらいだから、かなり壮観な光景なのだろう。連れて来てよかったと勿論毎年思うから福山市に感謝しなければならない。
 ただしバラの充実以上に、ベトナム人の増殖が目に付く。連れて行ったベトナム人が口々に揶揄するくらい増えているのだから、福山の人たちはいったいどう思っているのだろう。それだけ日本人が集まらない企業が多いと言うことなのだろうが、それで市民はいいのだろうか。何度も言うが、ベトナム人でも恐ろしいような人間が最近は日本に来ていると言うのだから、社会の劣化は必ず進行する。欧州の二の舞にならないうちに、優秀な人にだけ来て貰うようにしなければ、いずれ分断社会になるだろう。
 汚部は例の金持ちしか知らない人間だから、末端の企業でどのような人間を採用しているかなど興味もないだろう。実際にはドイツにも引けを取らない移民社会を作り上げているのに、今まで支持した人たちをも裏切っていることにならないのか。寛容な人間に囲まれているものだとうらやましくなる。だから保身だけで生きていけるのだろう。およそ誰にも守ってもらえそうにない人間が支持しているのだから、今の政権は安泰だ。大金持ちのお友達政権が貧乏人の票をもらえる不思議。まるでアメリカのカルタと同じ構図だ。
 今日の収穫。バラしか頭にないベトナム人をやっと大道芸にも関心を持たせることができた。今まで「リーリー(行こう、行こう)を連発していたのに、今日は座り込んで見ていた。きっとこの冬は、ベートーベンと言う言葉を出すと「眠い」と即座に拒否する彼女たちに「ブラボー」を口にさせたい。

頭上の星

 ツバメにプレッシャーを与えても何も解決しないが、この至れり尽くせりの待遇には、何らかの気持で返してもらいたいものだ。
 この時期になると、我が家の僕以外は、ツバメの赤ちゃんが無事巣立ってくれるように、ありとあらゆる工夫をして、カラスから守ってやる。何度かカラスにやられた経験から、カラスを上回る知恵で対処して、この数年は全勝だ。卵や雛が無残にもカラスの餌食になることはなくなった。2階に上がる外階段は全てツバメに開放して、糞でいっぱいだが、それも上手にさばけるようになった。軒下の巣は、カラスの頭脳を逆手にとって、シンプルだが近寄ることもはばかるくらい効果的な方法を編み出した。
 一つの巣の雛がかえり、今日巣立って行ったが、家族が喜んでいる。家族と言うより職業集団の趣の我が家で、数少ない共通のテーマだ。ツバメがもたらしてくれた幸せなのだろうか。幸運を運んでくれると信じられているが、僕としてはもう少し色をつけてもらいたいのだが、残念ながら例年この程度のもので、それ以上の運を運んでもらったことはない。
 中島みゆきはツバメに地上の輝く星が見えるかと歌ったが、凡人の僕は、ツバメよ地上であえぐ僕に頭上で光る希望の星を恵んでと歌いたいところだ。希望の星に僕がなるのではなく、希望の星をくださいと歌いたい。これが人格の差かな。でも、汚部よりは遥かに綺麗だろう。

弱気

 この果てしない倦怠感は何だろう。昨日、朝起きたときから調子は悪かった。肩や首の辺りがガチガチで、首から上が妙にほてっていた。昼が近づいた頃からその倦怠感は耐え難いものになり、生あくびどころか背中がぞくぞくするようになった。最初は、日曜日の午前中に笠岡のベイファームにとんぼ返りでポピーを見に行ったのが原因だと思った。とんぼ返りと言っても花大好き人間のベトナム人が一緒だから2時間は写真を取り捲っていた。その間僕は薬学の小難しい雑誌を炎天下で読んでいたから紫外線にやられたのだろうと思っていた。午後は牛窓の春祭りで、お接待のために少しは動いたが、これは妻や近所の女性やベトナム人たちが活躍してくれたから、そんなにダメージはなかった。日曜日の疲れが水曜日に出るほどまだ僕は老いていないような気がしたが、妻はそれが原因だと断言していた。
 僕は薬を作るためにほとんど立ち続けているが、昨日は辛抱ができなかった。そこでみんなには迷惑をかけるが、無理をして長期に休むことになってはだめだと思い、2階に上がり布団を敷いて眠った。すると昼寝など大の苦手の僕だが、すぐに眠りに落ちた。ただ、そうしていても相談電話などがかかり、階下に降りて行かざるを得ないこともあった。そのうち背中がゾクゾクしていることに気がついて、栄養剤のほかに風邪薬を飲んだ。すると幾分ゾクゾクは減ったが、動悸がしていることにも気がついた。こうなれば自律神経がかき乱されているってことだから、ついでに自律神経の漢方薬も1服作って飲んだ。するとしばらくして拍動が穏やかになってきた。外から心臓の動きが見えるのではないかと言うくらい激しく心臓が打っていたが、おとなしくなった。その頃から次第に、あの果てしない倦怠感が去り始めた。
 結局今日は、いつものペースで倦怠感もなく仕事ができたのだが、いったい昨日は何だったのかと思う。自分で感じるままに漢方薬を作って飲んだのだからはっきりと何だったとは言えないが、ひとつだけはっきりしている。僕の健康などガラスでできたようなもので、いつ何時簡単にひびが入ったり、割れたりするか分からないレベルのものだ。結局僕が飲んだのは、ある栄養剤2本、牛黄製剤、風邪薬、自律神経の漢方薬だ。このすべてが役になったのか、そのうちのどれかが貢献してくれたのか分からないが、今日はいつものペースで働くことができている。
 人様の役に立ちたいと言うモチベーションはまだ十分あるが、どうも年相応と言うのが苦手らしくて、今日は凝りもせず、再来週の日曜日に、ベトナム人をどこに連れて行ってやろうかなどと考えていた。来週はすでに福山のバラ祭りに9人連れて行くことになっているもので。
 毎日が弱気との戦い、そう表現したくなるような今日この頃だ。

間借り

 このところの僕の一日の終わり方は、ユーチューブでエイサーの太鼓の音を聴いてから眠ることだ。エイサーは踊のようでもあるから、正確に言うと「見てから」と言うことになる。いつからだろうエイサーに興味を持ったのは。あの足を横に開く動作がとても滑稽で、ぐんぐん興味をそそられた。本土の太鼓は、太鼓が作る音楽だが、エイサーは曲に間借りするように演じられる。恐らく琉球王朝の頃からあったものが、ビギンの音楽に乗ったりするからこれまたよい意味で滑稽だ。優柔不断とも言える。
 若者が、合いの手を叫んで、足を横に開きながら、懸命に踊る姿は「楽しい」。エイサーを一言で表現するのに、どの言葉がふさわしいかしばし考えたが「楽しい」でいいのではと思う。見ていてとても楽しいのだ。僕の背後からパソコンの画面を覗いていた妻が、「沖縄に行って実際に聴きたいね」と言った。これはとても珍しいことだ。何を提案しても、教会行事以外ことごとく拒否されるのに、エイサーだけは積極的な評価だった。太鼓に興味がない人でも「楽しそう」に見えたのだろう。
 太鼓ひとつで沖縄の印象を語ることはできないが、戦争で殺され、戦後アメリカの植民地になり、土地を奪われ海を奪われ、自尊心を奪われている人たちを見ると、この国から別れたらいいのにと思う。あの独特の文化まで失わないために。