砂糖

イギリスは砂糖の消費量を20%減らすらしい。政府が主導だから着実に減るのだろう。食べ物の中に混ぜる砂糖の量を減らすのだから確実に減る。甘過ぎる物が、甘くなるだけだから問題はなさそうだ。むしろ甘すぎるものへの抵抗から歓迎ざれるかもしれない。
 甘党の僕としては大いに期待する。外国の真似しかできない国だから、ぜひイギリスのまねをしてほしい。なぜなら僕が失っているものの多くは砂糖のせいのものが多いから。これ以上傷口を広げたくないのだ。自制できる人はいいが、意志が弱い僕はシステムの変更に便乗させてもらうしかない。
 分かりやすいのでは多くの歯を失った。血液の中の中性脂肪が増えるから、頭皮が脂漏気味になり毛根が傷み髪の毛を失う。中性脂肪が増えれば悪玉コレステロールも増え、柔らかい血管も失った。
 砂糖の誘惑は高くつく。寿命を近道してしまう。

連休

 連休中、炎天下にそんなにいたつもりはないのだけれど、根が色白で日焼けしやすいタイプなので、結構赤ら顔になっている。それに、ベトナム人を精力的に色々な所に連れて行ったから、それなりに疲れていて、今日の僕はいつも以上に精彩がない。そのおかげで、今日薬局に来てくれた人たちへの僕のもてなしはおおむね成功した。
 薬をカウンター越しに渡してから、多くの方に一声かけた。「ヨーロッパはどうだった?」と。ほとんどの方は一瞬にして僕の問いの意味がわかって「ヨーロッパには行かなかったけれど、〇〇(字名)をしっかり守っていた」「ヨーロッパには行かなかったけれど、原っぱには行った」などと答えた。田舎の人がほとんどだからヨーロッパ旅行をするような人は多くはない。まして僕の薬局を利用してくれる人は庶民ばかりだから、そこまで行動範囲を広げられる人は少ないだろう。そこで今日の僕の風貌が生きる。「先生は行かれたんですか?」とほぼ全員が聞き返してきた。そこで僕は「海外には2度行った」と答える。すると「2回も行ったんですか?」とこちらの思う壷にはまってくる。「そう、1回は高松、翌日は丸亀」遠くの方には分からないが、どちらも香川県で、瀬戸内海をフェリーと瀬戸大橋でそれぞれ渡った。ローカルのくだらないギャグだが、休みが長かったせいで、さび付きそうな脳を覚醒するにはこの程度でいい。あまりにも高尚なギャグを言うと、「先生はイカれたんですか?」と聞かれそうだ。そう切り替えされたら次も用意していたのだが、それは使う機会はなかった。「イカれているのは汚部じゃあ、こんなに長い休みを作って、貧乏人が働いて金持ちが遊ぶ」

帰国

〇〇さんへ

素敵なプレゼントありがとう。お父さんはあまり服を持っていないので、大切に着させていただきます。
10年は着ると思います。そのたびに〇〇さんを思い出します。着る度にあなたのことを思い出して、涙が出るかもしれません。
お父さんを覚えていてくれてありがとう。
貴女はとても好奇心が強い素晴らしい人でした。
常に好奇心をもち、人生を豊かなものにしてください。
あなたに巡り合い、少しだけ貴女に日本を紹介できたことを嬉しく思っています。
遠い空の下、いつまでもあなたの幸せを祈っています。
                                        日本のお父さん


〇〇さんへ
あまり出歩くことが好きでない貴女を、2回も連れ出してしまいましたね。以前御津工場に3年間働きに来ていたときもあまり外出していなかったみたいで、つい「おせっかい」をやいてしまいました。お父さんと偶然知り合ったのだから、仕事以外で日本人と接するチャンスと日本の文化に触れてもらいたかったのです。でも、あなたがお父さんと出かけたときに「今日は楽しい」と言ってくれたことが嬉しかったです。そして、運転中に恐らく首を何回も動かすのを見て、つらいのだろうと想像し、後部座席からずっとマッサージをしてくれましたね。日本人ではありえない親切がとても嬉しかったです。
会社を離れて自然な交流に心を許してくれたことが、お父さんの財産です。自分の意思を通す貴女が、お父さんは好きでした。いつまでも今のまま「凛」として生きていってください。あなたの最大の魅力です。

                                        日本のお父さんより

〇〇さんへ

サクスフォーンが好きだと教えてくれてから、あなたの言葉が気になっていました。和太鼓のコンサートもとても喜んでくださり嬉しかったです。案の定、貴女はとても真剣に多くのことを考える人だってことがわかってきました。知識や洞察力も素晴らしかったです。日本のことや日本人のことを話したときも、貴女はとても真剣でした。
あなたが「日本は静かで好き」と言ってくれたときに、牛窓が好きといってくれたような気がしました。どこの国でも同じでしょうが、田舎の人が自然と素朴な人柄を守っています。
日本の長所や欠点を実際に見た貴女が、もっともっと成長していくことを祈っています。

                                       日本のお父さん

〇〇さんへ

貴女は、とてもユーモアがあり、いつもニコニコしていてとても気持ちのよい人でした。こんな人が家庭の一員だったら、どんなに家の中が明るくなるだろうと、夢想していました。日本とベトナムの家庭の違いを教えてくれるような人でした。
若くて好奇心旺盛な今の時期に、もし日本に3年いたら多くの経験をしてもらえたのにと残念ですが、3ヶ月と言う短期の来日でも早く帰りたいといっていたあなたの言葉が、いかに貴女にとって家庭が大切かを教えてくれました。貴女が帰っていくのは寂しいですが、あなた自身もご両親にもよいことですから、喜びを持って貴女を送ります。短い間ですが、お父さんを楽しませてくれてありがとう。

                                       日本のお父さんより      

表紙

  アメリカのCannon-Albright氏らが実施した研究の解析の結果、親やきょうだいといった第一度近親者にアルツハイマー病患者が1人以上いると、自身もこの疾患を発症するリスクが1.7倍であることが分かった。第一度近親者に患者が2人以上いる場合には、このリスクは約4倍に増大し、4人以上の場合は14倍にも上っていた。また、第一度近親者と第二度近親者のいずれにもアルツハイマー病患者がいると、自身の発症リスクは2倍であり、また、第一度近親者に1人、第二度近親者に2人の罹患者がいる場合は、自身の発症リスクは21倍にまで上昇することも明らかになった。さらに、第一度近親者にアルツハイマー病患者がいなくても、第二度近親者に2人以上の患者がいると発症リスクは1.25倍であった。曽祖父母や大叔父、大叔母といった第三度近親者に2人以上の患者がいる場合でも、このリスクは1.17倍であることが示された。また、遠い親戚に患者が多ければ多いほど、自身のリスクも高まっていた。
「家族歴は、アルツハイマー病のリスクを正確に予測するための有力な情報となる。また、今回の研究から、アルツハイマー病のリスクを抱えている人は予想以上に多いことが明らかになった」とCannon-Albright氏は説明している。ただし、アルツハイマー病が死因として記録されることは少ないため、有病率は実際よりも過小評価されている可能性があるなど、研究にはいくつかの限界があるという。

 母が痴呆状態で数年を過ごした僕には衝撃的な論文だ。僕も少しは知性があると思っているし、母も聡明な人だった。ところが最も痴呆と縁遠いと思っていた母があの始末だから、僕に降り注がないとも限らない。と言うより降り注ぐ可能性が人より高いということだ。母は独りで住んでいたから、健康的な食事はしていなかった。うかつだったが、料理が好きな母にして最後のほうは近所のお店でコロッケなどすぐに食べられるものを買って食べていただけだった。およそ肉等の蛋白質は摂っていなかったと思われる。Edelmayer氏は「家族歴は変えられないが、アルツハイマー病には修正可能なリスク因子がある」と説明し、発症リスクを抑えるためには、知的な刺激による脳の活性化や定期的な運動、健康的な食事を心掛けるよう勧めている。現役で働いているときは、頭を使うことができる仕事だからまずまず1番の要件は満たしそうだが、そして朝晩ウォーキングを欠かさないから2番目もクリアしそうだが、3番目が怪しい。妻が肉をあまり食べないから、我が家には肉料理が余り登場しない。勢い炭水化物に偏ってしまっている。僕が料理を作ることがまったく出来ないから3番目の要件が僕の痴呆の可能性を左右しそうだ。
 母を見ていて、痴呆は本人にも家族にも救いではない。最期が印象の大部分を占めるから、やはり知性は保たれていたほうがいい。目を瞑れば見たくなかった、見るに忍びなかった母の顔が浮かぶ。ホームページの表紙の写真を変えることができないのは、あのすばらしい笑顔の母をいつでも思い出せるようになりたいためだ。目を瞑ればあの笑顔が浮かぶようになるまで表紙を取り替えることができない。

丸亀おしろ祭り

 あるテレビ番組に出ていた大学教授が、語気を荒げて、日本の若者は外国の若者から馬鹿にされていると言っていた。問題意識を持たずにのほほんと暮らしているというのが理由らしい。
 僕も同じように長年感じ続けていた。もう何年も生きられないような老人に支配されている世の若者を憂えていた。戦争に行って死んで来いといわれても抗うことができなかった80年前の若者と同じだ。今同じようなことを言われたら何の抵抗もせず死ににいくのだろう。金持ちの老人のために貧乏人の若者たちが又死ぬのだろう。
 今回のあることに関する過剰なアホコミの報道でも、若者の批判を聞いたことがない。むしろ、「あんたは貴族か」と言いたくなるようなコメントを多くの若者がするのを見て、この国が行き着きつつあることを悟った。もう手を伸ばせば汚部の手に入れたいものを渡してしまいそうなところまで来ている。
 今日、丸亀のおしろ祭りに行ってきた。昨年まで、いくつもの団体が、歩行者天国で四国に伝わる神楽を同時で演じるのは壮観だった。僕にとっては和太鼓と1,2を争うメインイベントだったのだが、今回は行われなかった。その代わりかどうか知らないが、若者が数人単位の踊りのパフォーマンスを繰り広げた。素人が集まって作ったチームでとても見るに耐えられなかった。訓練の程度があまりにも違いすぎる。歴史とか文化的な価値など比べることができないからそこは完全に差し引いても、あまりにも幼稚で、よくもこんなものを時間と場所を与えて披露させたなと主催者の、良識を疑った。
先の大学教授の憂いを象徴したような低劣さだ。およそ見せる価値もないようなものを得々として演じる厚かましさが不愉快だ。世にはびこる老害に立ち向かう正義感と問題意識と気概はないのだろうか。いつまで外国の若者に馬鹿にされ続けるのか。
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正論

憲法記念日の3日、東京都内で開かれた護憲派集会で、元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三氏がマイクを握った。安倍晋三首相と同じ1954年生まれであることを明かした上で、「大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい」などと強調した。発言の詳報は以下の通り。



 「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。今は大学の教員として若者とともにドキュメンタリーを作ったりしています。今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません」

 「私と安倍君は同じ1954年生まれです。同じ学年には(共産党委員長の)志位和夫君、(元文部科学事務次官の)前川喜平君、ドイツの首相、メルケルさんがいます。安倍君は福島(第1)原発事故の後、すぐに原発をやめると決めたメルケルさんとは相性が良くないみたいですし、加計学園獣医学部を作るのが、いかに無理筋だったかを証拠立てて語る前川君が苦手なようです。あと志位和夫君も苦手みたいです」

 「私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした」

 「小学校4年生のとき、東京五輪がありました。オリンピックは参加することにこそ意義がある。日の丸が上がるかどうかは関係ない。優れた競技やすごい記録に拍手を送るんだ。アベベチャフラフスカ、ショランダー…。柔道(無差別級)で神永(昭夫)が(オランダの)ヘーシンクに負けたときも、ショックはなくて、ヘーシンクに私は拍手を送りました」

 「『日本を、取り戻す。』『がんばれ! ニッポン!』。その旗を振る安倍君、少し了見が狭すぎませんか」

 「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています」 「私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」

 「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」

 「安倍君の話に戻ります。君が以前アメリカを訪問したとき、キャロルキングの『You’ve Got a Friend』という曲が好きだと言いましたね。『どんなに苦しいときでも友達でいようよ』。僕も大好きですし、その感覚はわかります。でも、残念だけど、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」

 「友情とはもっと気高く素晴らしいものです。君は実力以上に大事にされました。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!」

 「歴史から学ぶことが嫌いで、不得意の安倍君、戦争の道を断じて進んではなりません。30年前にベルリンの壁が壊れたとき、私は東欧各地の取材をしていました。そのとき、人々が何より大事だと考えたのは、言論の自由と連帯、そして多様性です。憲法21条に明記された言論・表現の自由、一方、放送法第1条には『放送は健全な民主主義に資すること』とあります。健全な民主主義というのは少数者の意見を大事にし、多様性を認め、不埒な政府の横暴にあらがい、連帯することです」

 「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」

 「『All governments  lie』 今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」

 

産経新聞より

錯覚

 昼食で15分、4時45分から15分が、僕の休憩時間だ。4時45分からの休憩は勿論「水戸黄門」の最後の印籠の場面で、悪代官を水戸黄門が成敗する。弱きを助ける場面だが、ここで僕は毎回ほろっとする。このほろが意外と体調にはよくて、たった15分の休憩でも結構体力は回復し、その後閉店まで頑張れる。
 今日みたいな日は、若夫婦に遠慮することなく最初から通して見ることができるから朝から楽しみにしていた。ところが今日の新聞には水戸黄門が載っていなかった。それどころか、どのチャンネルも何かの儀式のことで横並びだった。こんな日こそか弱き庶民の味方のドラマくらい流してくれればいいのに、庶民とは程遠いような番組ばかりだった。勿論僕はその手のものは苦手だから見ないが、水戸黄門がなければ休日の価値は半減する。おかげで?休日にもかかわらず入ってくる漢方相談のメールに集中して答えが書けた。
 その家庭から質素にと言う声が上がっているのに、どうやらそれで儲けようとするアホコミや、それをまたぞろ自分の欲望のために利用しようとする汚部のせいで、本来近くなるはずの存在がまたまた遠ざかる。およそ下々の人間がまるで親戚にでもなったかのように錯覚している。
 おめでたい国民だ。手玉に取られていることに気がつかない。仕組まれた土俵に気がつかない。どれだけのものを失えば気がつくのだろう。