県境

 隣の県にパチンコに出かけないようにと要請があったみたいだが、それは無理。そんなことできるはずがない。
 お決まりの時間が近づいてくると、いてもたってもおれなくなる。条件反射的にチューリップが頭の中で開いたり閉じたりする。あの喧騒が僕を呼ぶ。あの孤独が僕を呼ぶ。あの永遠の流刑場が僕を呼ぶ。急いでボロアパートの階段を駆け下り、バス停まで走る。
 あれは冬のとても寒い日だった。すでに柳ケ瀬に着いた時から雪は降っていた。最後の100円玉を使い切ればバス代がなくなることは分かっていた。だけど迷ったのはほんの一瞬で足は玉売り場に向かう。勝てない日は勝てない。一発逆転などない。
 夜の9時を過ぎても結構、同じ大学の学生を見つけることはできるのだが、その夜は誰も見つけることはできなかった。貧乏学生だからタクシーと言う選択肢は全くなく、歩いて帰ることにした。バスだと25分だから距離にしたら歩けない距離ではない。
 アパートに着いた時の光景しか記憶にない。恐らく黙々と歩いたのだろう。少しは後悔でもしたのだろうか。破滅的な学生時代を送っていたから、後悔などと言うまともな感性は持ち合わせていなかったかもしれない。なんとアパートに着いて仲間に会ったときに口がきけなかった。雪で凍える中を歩いて帰ったものだから、顔も凍っていたのだ。岡山県と言う温暖なところで育ったものだから顔が凍るなどと言うことが起こりうることすら知らなかった。あまりにも衝撃的だったので40年以上前のことなのに鮮明に覚えている。
 ギャンブル中毒などこのようなものだ。まともな顔をして多くのことはできるが、ある一点だけはこのように仮死状態なのだ。県境を越えてパチンコをしにやってこないでといら要請しても、心の麻薬が引き留めてはくれない。車でも電車でも、僕みたいに歩いてでも軽々と県境は越える。だって何年も何年も呵責の川を行ったり来たりしているのだから。