孤独

 途中で、何度も目が覚めて、起きなければ起きなければとまるで強迫観念のように習慣と言う名の束縛は襲ってきたのだけれど、滅多に飲まないお酒は、僕の運動神経を麻痺させ、ずっとホームこたつの中に縛り付けていた。腰から上は板場の上なので、寒気に襲われるのだが体は動かない。喉が焼けるように痛いのだがそれでも体は動かない。おかげで、いつもの習慣がこんな時間になってしまった。  学生時代、アパートの狭い部屋の真中に、ホームコタツは5年間君臨していた。冬は、それにかけ布団をかけて寝ていた。僕にとって、眠ることは、後ろに倒れることだった。1秒もあれば眠りの体勢に毎晩は入れていた。途中に何の行為も必要なかった。ただ後ろに体を倒せばその日の生活が終わった。  孤独感はいつも懐の中にあった。街を歩いても、パチンコの台の前に腰掛けても、沢山の人の前で歌っても、孤独はいつも付いて来た。いつも数人の男と過ごした。孤独感の中で実は、一番濃密な人間関係を築いていた時代だったのかもしれない。家族を得、子供たちが巣立った今、当時と似た孤独感が又毎晩襲う。ただ、当時と圧倒的に現在が異なるのは、僕は明かに最期への歩みを速めているということだ。多くを得たのか、或いはそうではないのか分からない。しかし、今は少しずつ手放す年代に入ってしまった。ただ、本来手放すことには抵抗がない。多くを得ようと意図したこともないから。  今夜、僕は30年以上前の青年に戻っていた。あのまま一生ホームこたつで眠る人生を選択している可能性もあった。名も無い人間に題名の無いドラマが延々と続く。この世に無数に展開されるドラマが、哀しい。