そうか、誰でも知っている歌は、実際には誰も知らない歌だった。これはちょっと驚きだったが、考えさせられた。僕の、僕らの常識は他の世代にはまるで非常識なのだ。
 五つの赤い風船の「遠い世界は」僕ら世代で知らない人はいないくらい有名だった。この点は恐らく間違いはない。ところが、「僕ら世代」は結構、上にも下にも幅が狭くて、僕ら世代だと思っていた人たちが僕ら世代でないことに気づかされた。明らかに僕が想定した人たちは世代が別物なのだ。せいぜい僕の上5歳、下5歳くらいまでか。かつて共通の価値観で行動をともにした世代はそうしてみると社会では結構少数派で、現在活躍している人が少ないのも当たり前だ。当時の僕ら世代をリードした賢人たちはすでに世を去った人のほうが多い。
 妻が、教会のパーティー用に「遠い世界」を僕が練習していると報告したときに、その歌を知っている人がいなかったと帰宅後教えてくれた。そこで上記のような感慨に浸ったのだが、結局日本人用の歌を用意しないことにした。その日のパーティーの趣旨は、フィリピン人の神父様の誕生祝だから、フィリピン人が主体になればいいので構わないことなのだが、こうしたおせっかいが、気づきを与えてくれた。無駄なことはない。何でもできることは引き受けて、誠実に対処すれば思いも寄らぬ考えに遭遇できる。頭の中のプレゼントは、どんな物よりもスリリングで価値がある。もう物などいらない。