日常茶飯事

 さすがにこの年齢になると、親類や知人がガンや早期の痴呆になったという情報がよく入ってくる。職業がら、そうした話の内容は日常茶飯事だったはずだが、さすがに自分が当時者となっても不思議ではない歳になったら現実味が全く違うから、話もついつい本気モードになる。
 今日も妻の友人のご主人がその手のものになったと連絡があった。随分前から兆候があったのだが、ついに発症したみたいだ。そんな話をしているときに「ガンと痴呆はどっちがいい?」とまるで直球のように尋ねられた。直球を打ち返すが如く即答で「僕はガンがいい」と答えた。その最たる理由は去年母を看取った経験だ。最後の5年間、虚空を見上げ、話しかけてもほとんど頷くだけで、的外れな言葉でも出てきたら喜んだ。車椅子に乗せて施設から連れ出しても、ただ頷きながらうつろな視線を気まぐれに変えるだけだった。ほとんどの時間をベットに一人寝かされ、定期的にスプーンで食べ物を口に運んでもらい、オムツを替えてもらう。そんな時間が5年間続いた。5年前に人格は亡くなっていた。命はあったが、それで生きると言えるのだろうか。
 ガンは死ねる。僕の漢方の先生の先生は、そう僕の先生に言っていたらしい。多くの患者を診てこられた日本一の漢方医の言葉だから重いし、多くの処方が正しかったように、その残された言葉も大いに的を射て正しいはずだ。苦痛な時間がどのくらいあるか分からないが、今は痛みを止める手段はある。それを駆使してもらえば、恐らく耐えれる範囲に収まるのではないか。
 「もういい、もういい」このところよく浮かんでくる来るフレーズだ。