判断基準

 都会にはないだろうが、田舎には放送塔と言うものがあって、緊急時の連絡に使われる。先日の迷走台風のときや、その前の豪雨の時にはしばしば緊急放送があり、気色の悪いサイレンの音にも驚かされた。
 今日の放送は穏やかなものだった。明後日行われる恒例の花火大会は、毎年岡山市と日程が重なっていたのだが、今年は岡山市が豪雨被害のために花火大会を自粛したので、行き場のない人たちが牛窓に沢山やって来るから気をつけてというものだった。僕は倉敷市の豪雨被害で岡山市がイベントを自粛するのを知らなかった。放送で懸念したようなことは恐らく起こるだろう。牛窓は半島になっていて、来た道を帰るしかないので、流れるようには車は走れない。片側1車線の道路を譲り合いながらでしか走れない。交通整理の腕前が試されるが、恐らく歩く人に車が追いぬれるだろう。
 倉敷の隣にある岡山市が自粛し、その隣の瀬戸内市は自粛しない。誰がどういった理由で結論を出すのかしらないが、花火を楽しむことに罪悪感を感じてしまう・・・・ほど僕は繊細ではない。恐らくこれから今回のような災害は日常茶飯事になるだろう。その都度庶民の些細な楽しみを止めていたら、庶民に残されるのは、無味乾燥の日常だけだ。庶民が楽しむ権利を放棄する必要はない。アホノミクスを先頭にとてつもない悪人達が豪雨の最中に宴会を楽しむのだから、庶民が何を我慢する必要があろう。悪意のないものは全てOK。判断基準は明確だ。