景色

 2つの病気を持って相談に来られた。どちらも現代医学では対処が難しい。命にかかわる病気は現代医学の独壇場だが、苦痛だけれど命はとられないというのは現代医学は逆に苦手としている事が多い。この女性も何年も苦しんでいるが、僕は相談を受けているときから治ってもらえると感じた。何年も苦しんでいるので安請け合いは出来ないが、改善していただく自信はあった。はじめて来た時に女性は涙を流して訴えたが、今日の再々注文の電話の声はまるで別人のようだった。元々聡明そうな印象を持ったが、不快症状のために力を出し切れずにいただろう。そんな彼女が今日電話の中で「景色が変って見える」と言った。恐らく日常のどんよりとした霧が晴れてきたのだろう。もう少しで晴天になる。
 こうした景色が変って見えるのなら歓迎するが、僕はこの数年全く景色が好ましくないほうに変って来ていることを実感している。それはアホノミクスが天皇陛下を越えようとしていることだ。この国では決して誰も天皇陛下を超えることが出来ないから、極悪人にはならなかった。所詮天井の高さは皆悟っているのだ。ところが一人アホノミクスだけはその天井を知らない。森友、加計、今回の働き方改悪でも、疫人をわが身の奉仕者のごとく扱い、自分の欲望の手先に使っている。法律のみならず憲法までを自分のものにしようとするこの男をよくも保守と名乗る人たちが許すものだ。本当の保守なら決して冒すことが出来ない方を越える男を許すはずは無いと思うのだが。
 企業の銭儲けを助けるためにドイツより多い外国人労働者を受け入れているのもアホノミクスだ。美しい日本を一番壊している人間が保守なのか。よくもこんな人間をと嘆かわしいことばかりだが、その行き着くところに道連れにされたくない。あの浮腫んだ顔がテレビに出てくる瞬間に僕の心はノロウイルスになる。