比較

 違和感の理由が分かった。何十年の間、毎日、僕は1対1で問題の解決を図ってきたから、一般論で話すことの無意味さを薄々気づいていたのだ。だから20人近い父兄や、先生方がいる前で話す意味を感じないのだ。だから自ずとモチベーションは下がり、どうでもいいことをどうでもいいような話しぶりで終えて帰ってくる。
 学校保健委員会の今日のテーマは食事についてだった。子供達の食事について養護の先生が一杯調査して、それがグラフ化されていて手にとるように分かった。しかし、その後医師や歯科医師とともに助言を求められるのだが、結構本気で困ってしまう。いくらでも話すことはあるが、一般論で教科書的に網羅しても役には立たないような気がするのだ。この豊かな時代に、栄養失調で困るような人は田舎ではあまりない。ほとんどの人が持ち家だから、そして周りに農家のかたが一杯いて野菜など分けてもらえるから、孤立することは少ない。最低限の保障がされている地域で何が問題になるのだろうと考えてしまうが、父兄にも切迫感は無い。おおむね元気で幸せに暮らし、子供達は楽しそうに登校している。
 僕は漢方薬を中心に思考するから、現代医学的な判断と異なることが多い。現代医学と真逆の考えのときも少なからずある。薬局に来て相談してもらえればとことん僕の経験から積み上げた健康法をしゃべることが出来るが、僕の薬局に来たことも無い若いお母さん方の前で持論を展開するのははばかれる。だから当たり障りの無い常識的なことを面白く話す。話す内容に制限があるなら、話し方で出席者の緊張をほぐし、今日来てよかったと思ってもらうくらいしか出来ない。
 学生時代、米に塩をかけ、その上から水をかけただけの食事?をしていた僕は当然健康面で行き詰まり、目が覚めると毎朝ゲエゲエ吐いていた。確かに健康面では失うことが多かった青年時代だが、心の中は飢餓状態ではなかった。毎日毎日、新しい考え方が入ってきて精神は育まれたような気がする。指導なんてそもそもおこがましくて、僕は上記のような失敗体験をしばしば話す。どこか逃げ場所を作ってあげないと世の母親たちは大変だ。教育と言う名の比較競争に明け暮れしているのだから。