残像

 実は昨日の第9回日本縦断和太鼓コンサートの「舞太鼓あすか組」の実力に圧倒されたのとは別に、もうひとつのささやかな喜びがあった。何気ないことでも、人はこんなに感動を呼び起こされるのかと自分でも驚いている。あすか組の熱演と同じように一日経った今でもその光景を鮮明に再現できる。  倉敷市民会館だから1000人以上は収容できるのだろうか。ほぼ満席だったと思う。和太鼓の観客は年配の方が多い。まるで格闘技のように筋骨たくましい青年達が奏でる音楽だから、もっと若者の聴き手が増えてもいいと思うのだが、いまだ年配の方が多くを占める。和の音楽と言う先入観がそうしているのだと思う。演じるのが若者で聴くのが年配組、申し訳ないようなもったいないような感覚だ。  本題の前に、前菜を少し。僕を含めて5人で聴きに行ったのだが、その中の3人はかの国の若い女性達だ。昨日は是非行きたいという「和太鼓大好き人間」を優先して連れて行った。例によって僕の奇声は留まるところを知らなかったのだが、始まってまもなく、僕以外のおきな声援が聞こえるようになった。それも若い女性の声だ。聴衆は誰もが同じような感動を味わえるのだろう、ここぞと言うときには自然と拍手が沸き起こるのだが、もっとここぞと言うときに若い女性の歓声が上がる。歓声は必ず奏者に届かなければならないと僕は思っているから正に一瞬芸だ。演者には必ず聴かせどころがあり、その瞬間に聴衆が反応してくれればノルことが出来る。このノリを聴き手が作らない手はない。演者の力をとことん引き出して楽しめばいいのだ。彼女達の一瞬芸が精度を増していることに気づかされたし、彼女達が又一段とコンサートを楽しんでくれている事が分かった。勿論「舞太鼓あすか組」の演奏には驚きを禁じえなかったみたいで、つたない日本語で何度も何度も感激の言葉を僕に伝えてくれた。  さてここからが主菜。僕の前列の1つ右座席には白い毛糸の服を着た女性が腰掛けていた。髪は長くめがねの縁が時々見えた。横顔も結局見ることが出来なかったからどのような人か全く分からないが、恐らく30代から40代。その女性が太鼓のリズムにあわせて、体をゆっくりと揺らす。その自然な体の揺らし方が、本当に心から太鼓を楽しんでいる事を饒舌に語っていた。演者が手拍子を要求したときには、頭の上で手拍子を打ち、盛り上がったときには強く手を叩き、和太鼓をよく理解もしているように思えた。どのくらいの回数和太鼓のコンサートに足を運んだか分からないが、あのように体を左右に揺らせて聴く人は初めて見たような気がする。和太鼓だけでなく多くの音楽を聴いている人かもしれないが、僕には自分と共通する感動の壷があるのではないかと思えた。出来れば感動を分かち合いたかったが、そんな行動に出ればそれこそ不審者だから、何もなかったように会場を後にしたが、残像は今日になっても消えない。  僕が音楽を聴いたり、自分が当事者になると必ずやってしまうあの体の揺れ。僕には無心の揺れ、幸せの揺れのように思えた。