表現

「こんなことがあるのでしょうか」「魔法のようです」「ただただ夢のよう」「朝起きて、大きなおならが出て、これのことかと思いました」「髪の毛がばさばさだったのに、今はご飯が食べられるから生き生きとしている」「何年ぶりかで一本の便が出ました。拝みたいくらいです」「絶対治らないと思っていた」「一生苦しむのかと思っていた」「外食も気にならなくなった」「人と会っても気にならなくなって楽しい」「今は、何でも来いって気持ち」「何でもチャレンジしてみたい」「ヤマト薬局さんが近所だったら毎日行きたい」「人生相談もして欲しい」

 過敏性腸症候群で悩んでいた若い女性が、電話注文のときに言ってくれた言葉だ。喜びの表現が面白かったので記憶にあるものを書き留めた。録音して書き起こせば、過敏性腸症候群がどのように改善していくか手に取るように分かる。ただ我が家の電話にそのような機能はないから、不確かな僕の記憶力に頼るしかなかった。  この女性が言うように、僕の薬局に15年くらいほぼ毎日通ってきた若いお母さんが以前いた。若くして母親になり懸命に子育てをしていた。ほとんど父親代わりだったが、健康以外の話を毎日沢山した。当時はまだ処方箋調剤と言うものがなかったから、結構仕事に融通が利き、話時間はいっぱいあった。もっとも向こうも邪魔になることを心配して、人が少ない時間帯をいつも狙ってやってきていたが。昔は、そうした余所行きではないほのぼのとした人情味溢れる光景も薬局の中にあった。  今日から、処方箋調剤の仕組みが変わる。僕はもうほとんどついていけないから、その分野からは身を引いている。ただ国は嘗てのような薬局に誘導しようとしている。病院のまん前にヤドカリのように店舗を構え、おこぼれちょうだいで税金をごそっと持っていくのを許さないらしい。と言ってもあの手この手でまたまた税金は同じように持っていかれる。これをすれば何円、あれをすれば何円、なんだか空しくなる。  いくら処方箋で病院の薬を作っても、この女性がくれたような言葉はもらえない。こういった言葉がもらえるからこそ漢方薬を勉強してきた。ただ歳を重ねるにつれて難しい症状の人が増えてきた。だから知識がその人達が抱える不調に追い越されないようにひたすら現場で勉強をする。いや、させてもらう。