死活問題

 毎月、定期的に訪問してきてくれるあるメーカーの女性セールスが、「都会の薬局を訪問しているときに、お客さんに会うことはめったにない」と言っていた。逆に田舎の薬局はお客さんが店内にいる事が多いと言っていた。昔とは様変わりだ。僕などは、人口が少ないという田舎のハンディーと戦いながら懸命に勉強してきたようなものだ。人が少ないところで薬局を続けようと思えばよほど役に立たなければやっていけない。牛窓に帰ってすぐそのことに気がついたから、そのことだけに注力してきた。ここで言う薬局は門前薬局のことではない。昔ながらの、地域の相談所みたいな薬局だ。何もしなくても処方箋を持ってきてくれるありがたい環境の話ではない。自力で存在しようとしている薬局のことだ。  都市部ではなかなか昔ながらの薬局を見つけることが難しくなっている。勉強会で都市部を訪ねた時の楽しみが、身分を隠して薬局に入り、勉強させてもらうことだったが、今はもうそんな薬局はない。だから勉強がすんだらすぐに新幹線に乗って帰る。空しいといえば空しいが、ないものねだりしても仕方がない。  こうした薬局が消えることは、メーカーにとっては客が消えることだ。メーカーの客は薬局なのだから、それが消えれば死活問題だ。結構いい商品を持っているところが意外と商売が下手で、ドラッグストアなんかで売っているつまらない商品に負けたりする。悪貨は良貨を駆逐するなんて昔聞いた事があるが正にそれだ。薬だけではないのではないか。全ての分野で同じ現象が起きていることは想像に難くない。そのうち個性的な薬のメーカーが消えて、仕様もないテレビで宣伝をうっているようなつまらないメーカーしか残らないだろう。個性的で有用なメーカーがつぶれ、養生法など知識を積み重ねてきた薬局が消えてなくなり、消費者は路上に放り出される。ただその時に至っても、消費者は気がつかない。己の胃袋が消費者と言う名の、薬の産廃処理場だってことに。