十八番

 僕は患者さんの応対中だったから電話に出ることが出来なかったが、奈良県で勉強しているかの国の子が、クリスマスケーキを贈ってくれ、近くの山崎パンに取りに行くようにと言われたらしい。クリスマスケーキを買うような習慣はないからありがたく頂くが気持ちは重い。どうしてこんなことをしてくれるのと言うのが本音だ。  大学の転入のことを妻が尋ねると言葉を濁したらしい。かなわなかったみたいで恐らく次に挑戦中だろう。費用の足しに少し融通をしてあげているから、望みがかない笑顔を見たい。日本の大学で勉強しようとしてやってきたのに、実際には夜のアルバイトばかり。勉強など授業中以外はできるはずがない。そこから脱出しようともがいているのだが、どこまで手を貸してあげればいいのかわからない。睡魔と闘いながら、疲労と戦いながら稼いだお金が、我が家の胃袋に消えるなんてのは耐えられない。授業料の足しか生活費の足しにならなければ苦学の意味がない。  多くの留学生と言う名の青年たちが、実は就労の偽装であることは周知の事実だ。最初から企てている人もいるだろうし、途中で経済的な理由で転向した人もいる。運のいいことに、僕が知っている青年たちは向学心に燃えて、アルバイトをかなり自制している。目的どおり日本語をマスターすれば良い仕事に就けるから、お金はそのときについて来ると言っている。だから勉強を頑張るとしばしば口に出す。「ジュギョウリョウ タカイデスカラ ベンキョウシナイト モッタイナイ」と日本人の十八番を奪う。  勉強と言う名の記憶競争に敗れたり嫌気がさしてこの国の子は、学びから遠ざかる。もともと勉強などと言うものから遠い後進国の子達は、勉強にあこがれる。いつか国力は逆転するのだろうなと容易に想像できる。それもまた平等だ。いい目を永遠にすることなど許されるものではない。禍福は個人だけではなく、国にとってもあざなえる縄の如くなのだ。