写真

 現在薬局をやっている土地を、前の持ち主の店舗と共に買ったのが何時の頃だろうか。当時牛窓に色々な面白い人が流れてきていて、彼らとのたまり場にしようと、数年間、古い店舗の中を改装して遊んだ。 実はこんな事、頭の中から完全に吹っ飛んでいた。ある写真を鍼の先生がメールで送ってきて思い出した。何十年の間、一度もよぎったことのないあの頃が、徐々に記憶の中で組み立てられ始めた。覚えていないくらいだから、僕の人生に決定的な影響を与えたのではないが、通過する宿場町としては必要だったのだと思う。 写真の中で僕はギターを持って歌っている。傍で鍼の先生が腰掛けてリードギターをやってくれている。つい最近玉野でやったそのままの27年前番だ。古い店舗を改造してライブハウスふうにして、時々コンサートをやっていたのだろう。正面には潮風公会堂などと、とってつけたような名前が書かれている。青年期を過ぎたばかりの若者が集って夜な夜な遊んでいたのだ。写真の中の僕も鍼の先生もとても若くて、一つの絵になっている。それが僕でなかったら思わず格好いいと声をあげそうな雰囲気だが、被写体が僕ではイマイチ、いやイマニ、いやイマサン。 その写真を見て、ほんの少しだけ、いつからどうして僕は唄を歌うのを止めたのだろうと思った。自然に、飛行機が離陸するかのようにゆっくりと離れていったから、いつからというようなことは考えてみたこともなかった。ただ、写真の中の僕は唄の中に完全に入り込んでいるから、少なくとも27年前のあの時点では懸命に歌っていたのだろう。  僕は音楽が好きというタイプではない。音楽を聴いて楽しくなると言うのも余り無い。勿論身体でリズムを刻むこともあるが、僕にとって音楽は想いを伝えるための手段でしかなかった。何かを表現したい時の一つの手段だったのだ。だから音楽と離れるって事は、訴えるものが無くなってきたことと連動しているように思う。何かを作品に託して聴いてもらいたいと思ったときに、素人ながらそれらしく仕上げようと努力していた。漢方薬が少しずつ分かりだして、直接喜んでいただけるようになって、目の前にある喜びの方が、不特定の人に時々メロディーに載せて訴えるより遙かにやりがいがあると思ったのだ。だから自然に歌うことから足が遠のいたのではないかと思う。事実、先日玉野で歌うまで、人前で歌うなんて事は考えてもいなかった。 音楽が好きではなく、何かを伝える事が好きだっただろう僕のブログを鍼の先生が見つけたときに「ライブ」だと言ったのは、的を射ていた。指摘された僕が驚くくらい言い当てていた。下手なギターを下手なパソコンに持ち替えたのは、普通の人が普通に暮らすことが出来ることこそ価値があると伝えたい一心なのだ。