孤独

 相談相手もなく、一人で何とかなる時代ではない。パソコンを開けば情報には容易に接することは出来るが、それを読みとる知識や経験は、生身の人間の助けなくしては頼りない。  病気は孤独なものだ。例え沢山の人に囲まれていても、痛みも痒みも息苦しさも不自由も、なにも他者と共有できるものはない。誰かに預けられるものでもない。自分一人で背負わなければならない。勿論家族や友人、あるいは医療関係者の愛や援助は幾分か苦しみを和らげてはくれるが、取り去る力はない。悲しくて辛い作業だが一人でそれを引き受けなければならない。だから健康と健康でない人の線引きが辛い。みんな健康の側に漏れなく入るべきだ。そんな奇跡が起こらないかと時々思ってしまう。 その中で比較的他者に苦しみを取り去ってもらえるとしたら、心のトラブルだろうか。多くの人が毎日苦しみを訴えるが、本当に良き相談相手、良きぐちり相手を持っている人は少ない。逆にそんな相手がいないから発症してしまうのだろうが、本来なら口から一杯吐き出していれば発病なんかしなかった人達ばかりだ。何の因果か、身の回りに自分の弱さを露呈してもいいような雰囲気がなかったのだ。落ち込んでも尚頑張って体面を保たなければならなかったのだ。もう充分だよと言ってくれる人がいなかったのだ。 精一杯も体力に保証されなければ鋭利な刃物に豹変する。精一杯も他者に向かうときは快感だが、体力の裏付けを失うと刃先は自分に向かってくる。高い倫理も持って生まれた潔癖も砂上には建たない。強固な礎の上にしか普遍は建たないのだ。  ああ今日も又、折れた心に氷点下の冬が降る。