怖い話

 どちらの先生も小学生の頃、お父さんから勉強をするように注意されていたことに驚いた。僕だけ全く干渉された記憶がないから、この辺りの差が今の職業の差になっているのだろうかと・・・・考えなかった。 内科医と歯科医と僕とで学校保健委員会というものに出席した。養護教諭が学校保健について報告してくれるのだが、田舎の小学校はほぼ問題はない。集計されたアンケートによると家で勉強する時間が結構短いから、塾に行って勉強している時間はこれに含まれていないのと質問したら、ほとんどの児童がそもそも塾に行っていないと言う。想わず僕の口から出てきたのは「健全」だった。  僕らの幼い頃と現代の子供達がどちらが元気なのかを比べることは出来ない。ただ、子供には子供の能力しか備わってはいない。学校で長い時間学ぶことと、下校後広場で遊ぶこと、そして寝ることくらいしかすることがなかった。それでもバタンキュウで横になると朝は一気にやってきた。余力があったようには思えない。学校という身動きとれない束縛の中で過ごした心も身体も、緊張から早く解き放たれたがっていた。学校とは違う秩序の中でクールダウンは毎日行われた。 夜の街を帰宅する子供達の光景をテレビで見るが、およそ田舎では考えられない光景だ。首から上を訓練され、首から上で勝ち取ったものが将来どのくらいその子達を幸せにしてくれるのか分からないが、人は首から上だけでは生きていけない。多くを首から上で稼ぐのだろうが、恐らく多くを首から上で失ってもいるだろう。求めたものは手にすることは出来るが、本来与えられるべきものは手にしていないのかもしれない。 「健全」は大きなランドセルを背負って「怖い話をしながら帰ろう」と道路の端を数人で歩いていた。都会の子はこれから塾に行って勉強するのだよと話したら「こわい~」と言って恐れてくれるだろうか。それとも口をぽかんと開けて理解にただただ苦しむだろうか。