堆肥

 漢方薬を作り、会計が済んだ後、少しばかり立ち話をした。
 一時大学で教鞭を取っていた方だから、なかなか話が面白い。今日も関係している農業管理団体の一行が能登にボランティアに行ったらしい。さすが農業に従事している人達で、排せつ物の処理の手伝いに行くらしい。災害で一番困るのがトイレの問題で、いったいどのくらい悲惨な状況か、なかなか具体的な情報は電波に乗っては伝わってこない。電波には乗せられないような表現になるからだろう。
 「タンクを持って行った」と言う言葉が引かかったから理由を聞くと、なんでも堆肥にしてしまうらしい。すべてを理解できなかったから落ちているものが大いにあると言いう前提で言うと「人糞と藁があれば堆肥になる。メタンガスが発生するけれど、その臭いを取れば放出できる。ただ今は畑に使うことは禁じられているから、実際に畑にまくことが出来ず、そこはまだ解決できていない」と言うことだった。「昔からやっていることだから簡単なもんじゃ」とはさすがに現場の人の言葉だ。まったく関係ないのに、僕は嬉しくて誇らしかった。
 僕が幼かった60年前には、ごくごく見慣れた光景だ。母の実家に預けられていた頃叔母が、便所から肥を汲み、肩に担いで畑の方に歩いていく姿を今でもよく覚えている。それを現代版で機械でやれば、処理の手伝いになるだろう。田舎の災害に田舎の人が手助けに行く。嬉しくて誇らしい。
 うまく文章で伝えられるか自信がなかったので、人糞処理についてインターネットで調べたら、以下のような投稿を見つけた。僕と同世代か上の方の投稿だろう。郷愁に浸りながら楽しく読めた。

 

どのようにして堆肥化していたのでしょうか?

 

特に難しい話ではないです。汲み取り式の便所が満杯になれば、糞尿を肥桶に入れて肥溜めまで運び、そこにぶちまけておけば勝手に発酵して下肥ができます。
それよりも、肥溜めに落ちた時が悲惨です。肥溜めが発酵すれば、表面が固くなって色も地面と見分けができない位になります。夕方、ちょっと暗くなれば、地面と見分けがつきません。大人はそこに肥溜めがあることを知っていて、滅多に落ちませんが、子供はよく落ちました。走り回ってみんなで遊んでいて、眼に前に肥溜めがあることに気付いても止まれません。あるいは、知らずに落ちます。落ちれば悲惨です。
足だけ突っ込むのはまだましですが、首まで落ちれば、もう大変です。助け出す周りの友達も臭くなります。ただ、肥溜めの臭いは、生のウンコの臭いとは違って発酵していて、けっこういい臭いになっています。それでも、けっこう臭かったですね。子供の頃、何人かは肥溜めに落ちました。
なつかしき良き時代の思い出です。

【LIVE】山本太郎とおしゃべり会 2024年2月16日(滋賀県・大津市) - YouTube