花園

 バンドの名前にあったような気がするが「安全地帯」と言う言葉がよぎる。ただしかなりのあいまいさを伴っていて、不用意には使えないような気がする。
 僕らの青年時代がどうのこうのと、一番嫌われる轍を踏みたくはない。つい出てしまうことはあるかもしれないが、本意ではない。自分のその頃が優れていたことなど何もないし、むしろ危うかっただけの歳月だったから。
 青春真っ盛りの人達と話をすることが結構多い。単に僕が漢方薬をやっていると言うことだけのつながりなのだが、深刻に相談されることも多い。彼ら青年にはそれぞれの居場所が当然あるのだが、それが戦場か安全地帯か分からない。戦場で戦っている人もいるし、安全地帯で休んでいる人もいる。
 現代では圧倒的に健康でない人には安全地帯が勧められる。そこで英気を養って、再び出て行ってもらうと言う手法だ。ただそのタイミングは、他者には全く分からない。促されて出ていけるものではないし、促すものでもなさそうだ。石油の宣伝ではないが、心が満タンになれば、自ずと出ていけると言う考察が一般的だ。
 心が満タンになるほんの些細なお手伝いが漢方薬であったとしたら、現代社会では、戦場に送り出すお手伝いをしているのかもしれない。現代社会に、特に目に入って来る光景に、戦場以外のものがあまりないのだ。生活の場は戦場そのものなのだ。花園はどこにあるのだ、花園は本当にあるのか、花園はあってはならないのか?

【Arc Timesが問う @ 9/7の記者会見】「電気アンマ、ソーセージ...負の連鎖では?」「もしかしたしてる可能性もあるし、もしかしたらしてないかもしれないし」「社長の資格あるのか?」 - YouTube