幸せ

 「まさかの事が起ころうとしています。来月、好きな声優さんの舞台を見るために一人で東京に行こうとしています。 ま、ま、まさか❗です。それも1泊します。・・・・・・・・・・・ずっと、ずっと、家にいた子が 東京に一人で行ってこようとしている。「こんな日が来るなんて。」 私、〇〇がパートを始めた時にも言いました。また、言わせてください。「こんな日が来るなんて。」もちろん母親ですから心配はしています。無事行ってくるのかしら?と。でも、黙って送り出します😣💦それが私の役目と思って。大袈裟なくらい嬉しいので、ご報告と やはり 先生にありがとうございます❗とお礼が言いたいのです。

 あるお母さんから頂いたメール。喜びに溢れている。長い間待ってた瞬間だ。母親の愛が溢れんばかりだ。こうした事例に触れると、日本の母親の優しさや力を感じる。自慢したくなるほどだ。いや、感謝かな。こうした母親の力が、この国が道徳的に落ちていくのを辛うじて食い止めている。ただし、段々とこのような方は減っていると思う。
 僕が接しているかの国の女性の場合はこれとは全く逆だ。娘達は親にお金を送るために働き、帰省時にはよく手伝い、親の肩や腰をマッサージして上げる。いつも親の健康を気遣い、僕に色々な質問や助言を求める。毎晩必ず国にいる親と話をしている。それも結構長い時間。日本の親子でこんなに話が出来るのだろうか。僕など1年に一度も連絡しなかったから、又僕の子供達にも連絡を貰ったこともないから、目の前で繰り広げられる光景が最初は信じられなかった。
 常々、50年遅れているという彼女達だが、この面においては遅れたままでいいのではないかと思う。いたずらに個人主義に徹しだすと、結構日常が空虚になる。働く仲間であるよりも家族であることを優先する国民と、労働資源として家族が存在する国のどちらが幸せなのだろう。恐らく笑いが絶えない彼女達のほうが幸せなのだと思う。