地球

 もずかヒヨドリか、はたまたムクドリか、誰もわからないから口からそれぞれ記憶にある名前を言っているだけだ。どのような姿形で、どのように啼き、そもそもどのような所にいるかも知らない。我が家のにわかブームでしかないのだが、僕は先行してひそかに楽しんでいた。娘が俄然興味を持ったから、そして若いだけあって興味を持つとそれを実行に移すから、ブームに火がついたのだと思う。面白いことに、人間の方がそうなると、鳥達も頑張るのか、しばしば目の前に現れるようになり、向こうから親しくしてくれる。こっちの思い入れが強いから錯覚しているだけだろうが、下手をしたら気持ちが通じるのではないかと思ったりもする。  数日前、薬局の入り口のマットにメジロが降りてきた。当然すぐに飛び立つのかと思ったが、じっと動かない。娘婿がダンボールですくい上げ様としても動かない。きっと病気なんだとそこから又数年前の鳩騒動のように野鳥の保護団体などの手はずを整えようとした。マットの上から観葉植物の土の上に移し写真を撮ったりして、ついでに観察させてもらった。淡いオリーブ色でふっくらとした何とも言えない柔らかさがかわいい。僕らが幼い頃、メジロをつかまえて飼っていた人がいるが、そんな気持ちになるのも頷ける。結局脳震盪でも起こしていたのか、暫くすると飛んで行った。  ところが翌朝僕がウォーキングするために駐車場を通ると、柿の木にぶら下げている2つの鳥小屋にりんごを半分ずつ置いていたのだが、その2つのりんごの中にメジロが入り込んで、りんごをつついていた。食事に夢中だったのか、僕が接近しても逃げなかった。それとも前日、助けようとしたのが分かったのか。娘が一所懸命餌付けをしていたが、数日前からムクドリがやってくるようになり、そしてメジロだ。やっと努力が報われた。  そして今朝、いつものようにテニスコートを歩いていると。1羽のムクドリが何故か僕が歩く数メートル先を、まるで犬の仕草のように、振り返って僕の位置を確かめながら歩いた。テニスコートを1周したのではないか。考えすぎかもしれないが、明らかに鳥と僕との距離が短くなった。以前なら飛び去るだろうなと言う距離が明らかに短くなっている。  たわいもないことで嬉しくなる。政治屋やそれに群がる悪党や、護身の権化の疫人の「たわいもあること」ばかり見ているから、けなげに生きているもの達がとてもきれいに見える。早起きは3文の得だったが、今は日中でも鳥達に会える。鳥達の仕草を見ていたら地球が人間のものではないことがよく分かる。