平坦

 瀬戸内芸術祭の一会場である犬島へは、40年前に一度行っただけだ。小さな島で、中央に小高い山がひとつあり、どちらの方向に下りても、海に落ちそうな猫の額ほどの平地があり、家々が密集している。田んぼは勿論、本格的に耕作している畑もなかった。恐らく昔は漁業で生活の糧を得、100年前からは製鉄所で生計を立てたのだと思う。  犬島で育った人で牛窓にお嫁に来たり、移り住んでいる人を何人か知っている。船でしか行くことができないところだが、やはり生まれ育ったところはいいと見えて、話によく出てくる。  昨日もある70代の女性が面白いことを教えてくれた。バイクの免許を返納したから不便になったという話からだ。ある病気で困っていたので、息子の勤めているところに通ったらと勧めたのだが、足がないから今の病院から変われないと言った。峠を二つ越えなければそこには行けない。そこで僕が運動を兼ねて自転車で行ったらと提案したのだが、「私は島の人間じゃから自転車には乗れん(乗れない)」と言われた。島の人間だから乗れない、このことが理解できなかったから、尋ねると、島には平坦なところがないから自転車に乗る必要が無い。だから子供も乗る練習をしないというのだ。なるほど、縁がないわけだ。それなら乗れなくても不思議ではない。  今の日本で自転車に乗れない人がいるということがにわかには信じがたかったが、説明を受ければ納得が行く。今の日本で携帯電話を持っていないと言うとにわかには信じてもらえないが、僕もまた何かのきっかけで理由を話すことがあるのかもしれない。平坦な土地がなかったように、平坦な人生がなかったからとでも話そうか