この二人が、頑として僕の言うことを拒否したのは初めてだ。  次女と三女と一緒に暮らし始めて、僕が気にかけていることの1つが食事だ。ぎりぎりの生活をしていたから、ろくなものは食べていないはずだ。だからごく普通の食事をしてもらうこと、そして安全なものを食べてもらうこと、この2つはなるべくかなえようと思っている。  そこで、毎週妻が利用している生協の宅配サービスのパンフレットを見て、喜んでもらえそうなものを注文した。それが届いたから早速僕の一押しの料理を妻に作ってもらった。喜ぶことは請け合いだ。それより何よりもこの僕自身が楽しみにして待っていた。と言うのはもう何年も、ひょっとしたら何十年も鯨の竜田揚げなど食べていないからだ。僕の記憶の中では最高の味なのだ。  冷凍庫の中の袋を見つけた二人が怪訝そうな顔で僕に問うた。「オトウサン、これ鯨ではないですか?食べますか?」と。僕は今夜食べると、当然喜んでもらえると思って答えたが、二人が妙な質問をする。「オトウサン、鯨を食べてもいいですか?」僕は二人が反捕鯨の思想を持っているのかと思って驚いたが、そうではなかった。なんと、かの国では鯨は神様なのだそうだ。だから決して鯨は食べないそうだ。僕は、日本人は鯨を昔から食べていたこと、なんとも言えぬ美味しさってことを伝えたが、食べようとしない。いくら僕が美味しかった記憶を話しても「食べない、食べられない」を繰り返すだけだった。まして次女は海上生活者だから、海の神様を食べるようなことは出来ないし、食べればお父さんに不幸が降りかかると言っていた。  そこまで教えてもらってむげに食べろなんてことは言えない。犬や猫を食べる国の人間がどうして鯨の肉を食べることが出来ないのか最初は疑問に思っていたが、理由を聞いて納得した。  しかし僕がそれを聞いて食べるのを止める手はない。あの懐かしい味を楽しまない手はない。食卓に並べられると記憶が甦る。あの至福の味。ところがいざ口にしてみると全く記憶の味と違う。この世のものとは思えない味・・・・だったはずなのに、この世のものにしか思えない。次女は香りをかいで「人間の肉のよう」と言った。それを聞いて余計美味しくなくなったが、確かに待ち焦がれて食べるほどのものではない。あまりの落胆振りに妻が「イルカだったんじゃない」と止めを刺してくれた。  食べ物がなかった時代に肉の塊を食べられたのだから、よほど美味しかったのかもしれない。実際よりも何倍も美化していたかもしれない。ああ、これでもう食べる必要も、食べることもないだろうと思った。調査捕鯨などと姑息な手段で捕った鯨を食べる後ろめたさからも卒業だ。