回収

 毎日大量に送られてくる医学や薬学の情報に追い立てられるのは、それらに目を通しても面白くないからだ。面白くないのはこちらに知識がなくて、ほとんど追いつけなくて理解不能だからだ。懸命に目を通すのは、取り返しが付かなくなるまで先頭集団に離されたくないからだ。先頭が見えなくなったら走る意識も萎えて、援護車に回収される運命にある。専門職とはそうしたものだ。専門的でない人間が専門職に付いたから、今日の脅迫観念から逃れられず、うつろなまなざしで文字を追う。  ところが今日見つけた文章は、僕でも分かる・・・と言うか、面白くて、独り占めするのはもったいないくらいだった。だからコピーして読んでもらう事にした。こうして説明を受ければなるほどなと頷けるが、どうだったんだろうと想像をめぐらしてもこの文章のようなことは想像できなかったかもしれない。奇抜と言うか、これしかないと言うか、考えたものだ。いや、考えなかったものだ。実力行使あるのみだ。  こんな面白いことを授業でやってくれたら僕も4年制大学を5年もかけて出なくてもすんだのだろうが、なにぶん授業は面白くなかった。恐らく教えている人間が面白くなかったのだと思う。同じような年齢になって思う。若者を育てようなどと言う気概は全く伝わってこなかった・・・・なんて言える学生ではなかったが。

麻酔の無かった時代の外科手術はどうだったのか?!

17世紀頃の西洋の絵を見てみるとその現状を知る事ができます。そこには、 脚を切断された患者と、ノコギリを持った外科医(当時は床屋でした) が書かれている横に、ボクサーのようなグラブをはめた強そうな男性が 書かれています。お察しの通り、手術の前に患者を殴って気絶させた後に、 床屋が手術を行った図です。この頃は、パンチによる強打や、天井から 患者を逆落としにして気絶させてから手術を行っていたのです。それから 年月を経て、この一見野蛮な床屋外科手術に置き換わって、近代的外科 手術に置き換わっていきました。もちろん無麻酔で行っていましたので、 痛みをどうやって我慢するかがこの頃の課題でした。この頃の病院の 手術部屋は最上階に配置されていたのも、手術中の患者の悲鳴が病院 全体に響かないようにとの配慮からだったそうです。その後アルコール やモルヒネを投与して手術を行うようにはなりましたが、効果が弱かったので、 手術をいかに素早く行うかが当時の外科医の中の重要テーマだったそうです。