気づき

 3年間の契約が終わり秋に帰国するかの国の女性のたっての希望で、姫路の太陽公園に行って来た。2年前に帰国したあるグループを連れて行ったことがあるのだが、その子らのフェイスブックを見て、帰国するまでに是非行ってみたかったのだろう。  スケジュールから言って、今日しかなかったので、最高気温35度超えを予測していたが決行した。その決意をあざ笑うかのように、山陽自動車道で事故による渋滞があって、急遽国道を走った。昔通った時ほど国道に交通量はなく、いたるところで道路の拡幅も行われていて、思ったほど負担は大きくなかったが、やはり高速道路を走るよりは気力体力を消耗した。  25歳から32歳まで、子供がいる女性もいるし、結婚している女性もいる。それでもヨーロッパ風の城内の3Dアート(トリック)を見た瞬間から異様にテンションが上がり、母国語が氾濫した。2年間心に秘めていたものがかなったのだからそれはそうだろう。ただ、車で1時間ちょっとの公園へ連れてきてあげるだけでこんなに喜んでもらえるのだと再確認した。次から次へと連発する驚きと笑いに僕自身が慰められた。些細なことだが、人様に喜んでもらえるのは、自分の喜びよりはるかに嬉しい。  城を出て、隣接している石の公園を巡り始めたらさすがに紫外線の攻撃をもろに受け始めた。細胞が破壊されるのか、極度に疲労状態になり、さすがのお喋りもなりを潜めた。それどころか被写体大好き人間達の運動量ががくっと落ちた。僕はがくっどころか日陰を探して横になりたいくらいだった。  彼女達の喜んでいる姿を見るのが僕の喜びと言う理由以外に、実はもうひとつ大きな理由があるのではないかと今日気がついた。例えば、今日しか決行出来ないのなら断ればいいのだが、僕は自分で出来ないことをまだ作りたくないし、歳のせいにして消極的に生きていくことを良しとはしていないのだ。だから挑戦して「出来た」と言う結果を出し続け様としているのだ。そのためには、しばしば気力体力を試す機会がなければならない。その時、歳を忘れて役に立とうと懸命になる自分がいればそれで十分なのだ。それに勝るモチベーションはなく、彼女達の存在のおかげで、僕は「昨日出来たのだから今日も出来る」をこの数年実践している。  西洋の城を模した建物の中の歓喜がまだ冷めないうちに姫路城に寄ったのがまずかったのか、10分もしないうちに「オトウサン ツカレタ カエロウ」攻めにあった。せめて、気温40度の国から来ている女性達に負けない体力がなければ、あの国で暮らすことなど出来ないと、これもまた気がついた。