高齢者

 1人暮らしの高齢者は家族と同居している高齢者よりも生活の満足度が高く、悩みが少ない-。大阪府門真市の医師が実施した調査からそんな結果が明らかになった。高齢で体が不自由になると家族の介護が頼りと思われがちだが、体調があまりよくない人でも独居の方が満足度が高かった。調査した医師は「高齢者のお1人さま生活は、実は幸せなのでは」と話している。

 この文章を読んで、僕も同感だ。僕の場合、その医師のように調べたわけではないが、医者以上にそれぞれの人とどうでもいい会話が多いから、本音を聞くチャンスが多い。ほとんど僕には皆さん本音で喋ってくれる。個人情報などほとんどの人が気にしない。薬局の対角線に待つ人のためのコーナーがあるが、そこに腰掛けて待っている人がいてもお構い無しだ。個人情報より話してスッキリのほうが皆さん価値があるのだろう。だから家族の悪口も言いたい放題だ。  多いのは、都会に住む子供に引き取られて行った年寄りの多くが帰ってくるというパターンだ。都会の見ず知らずの人達ばかりの中での疎外感も確かにあるだろうが、実は引き取られた家族の中の疎外感も大きいのだ。子供の家庭の中で居心地が悪すぎるのだ。それよりも、足腰が痛んで不自由でも、ゆっくりとした動きで一応のことがこなせればそのほうが気が楽なのだ。体が楽より「気が楽」の方がはるかに価値があるのだ。  それと僕は最期の形態が大きく変化したことも、このお1人様志向が強まった要因だと思っている。僕の祖父母は4人とも家で看取った。僕の父も、妻の父親も病院で半年の入院の末亡くなった。妻の母親は、何年かの施設暮らしの末亡くなった。僕の母は、もう2年くらい介護施設で面倒を見てもらっている。恐らく亡くなる時は職員達に見守られながら亡くなるだろう。僕たちが必ず立ち会えるとは限らない。週1度1時間くらい傍にいる息子は、ほとんど世話などしていない。他人様の職員が手厚く世話をしてくれているだけだ。母にとっては、今は家族などないに等しい。だからたとえ家族なるものがいても結局は他人様の手を借りて、他人様の中で亡くなるのだ。そんな一瞬のことでそれまでの自由を失いたくないのが本音だろう。  調査に答えたある高齢の女性は「3日連絡がつかなかったら死んだと思ってくれ」と家族に言って一人暮らしをしているらしい。後始末くらいはしろってことだろうが、粋なものだ。殺人事件の半数近くが家族内殺人の時代に、とってつけた家族愛は息苦しいだけが本音なのだろう。