天秤

 慌てた様子で「お風呂を綺麗にするものがありますか?」と尋ねる婦人に、近所のドラッグストアを紹介したが、彼女の意図するものと、ドラッグストアは結びつかないらしい。そこで、どんなものを期待してヤマト薬局にきてくれたか尋ねると、浴槽に溝鼠がいて、その痕をきれいに消毒したいらしいことが分かった。そうなると薬局の仕事だから、浴槽をいためないことを確認してある消毒薬を出した。  「どうやって入ったのでしょうね。溝から進入したのでしょうか?」と尋ねられても分かるはずがない。と言うのは、なんとその鼠を区長さんが捕ってくれたと言うから、いよいよ分からなかったのだ。溝から進入したというからには、水抜きの栓は抜かれたままだったのだろうし、もし抜かれたままだったらそのまま来た道を帰ればいいだけの話しだし。もし上から入ったのなら、出ればいいだけの話しだし。ステンレス製の風呂の壁面はさすがの鼠も足が滑って上れないのかなどと、妙に理由に拘った。どうでもいいことなのだが、今だ結論は出ていない。それにしても、親切な区長さんだ。鼠を捕ってくれと電話がかかると、網を持って駆けつけ、見事すくい上げて海に捨ててくれたそうだ。70歳代とは言え、オートバイでやってくるような元気な女性だが、頼むほうも頼むほうで、それに応えるほうも応える方だ。田舎のなんともいえない人のつながりだ。  こうした所だから40年も薬局をやって来れたのかもしれない。毎日のように人格が破壊されたような悪事がニュースに流れるが、そうしたものとほとんど無縁の暮らしやすさがどれほどの価値だろう。原発と引き換えの、基地と引き換えの箱物何十個の価値もそれには及ばない。そもそもお上から施しを受けた物に、天秤にかける価値もない。