役人

 テレビニュースを見ていた息子が「川は怖いな」と独り言のように言った。独り言かもしれないが、あの激しく堤防から流れ落ちる水の勢いを見れば思わず頷きたくなる。川に縁がない僕たちは、判断材料を何も持っていないから、恐れることもなかったが、あの映像を見てしまったから恐れないわけには行かない。  あの映像と同じような経験をした僕だが、川の氾濫に比べれば海はおとなしい。チャポチャポと言う、まるで締め忘れられた蛇口から雫が落ちているような音で床下浸水を知ったのだから。窓を開けて外を見ると、バスが数台駐車出来る広場がまるで静かな池のように見えた。台風の強い風は吹き続け、波は堤防高く舞い上がっていたが、いったん陸に上がった海水は物静かだった。不思議な光景だった。  結局は母を連れ高台に避難し、夜が明けてから帰ったのだが、物は確かに散乱していたが、破壊的ではなかった。恐らく水に浮かんで移動し、やがて干潮になって倒れたのだろう。それでも大きなものが移動して倒れていたからまるで爆撃されたように思ったが、今回の鬼怒川の惨事を報道で見ていて、そうした表現は適していないと思った。あちらの被害にこそ使える表現かもしれない。  それにしても今回のことで責任を取る人間は現れないのだろう。良くぞこんなに責任を取らなくてすむようなシステムをこの国の役人たちは作ったのだと思う。政治屋とつるんでやりたい放題をして、作り上げたルールなのだろう。福島も今回の安全保障の問題も貧富の2極化も、強いものに巻かれまくる役人の責任は大きい。僕はそんな役人達を「厄人」と呼ぶ。