不完全燃焼

「この紋所が目に入らぬか」と言われても、その紋所は目には入らなかった。クライマックスで助さんが葵の御紋を悪代官に見せて、観念させる場面のために、それまでの40分テレビ画面に釘付けなのに、なぜかそのころになると階下から呼ばれる。 牛窓に帰ってきてから20年近く一人薬剤師だったから、昼食をゆっくり食べたことなどない。もともと早食いだが、犬のようにかきこんでハイ終わりだった。その癖で、薬剤師が増えても同じように昼食をかきこんではすぐに階下に下りて仕事をしていた。それはいやでもなんでもなく当然のことだった。今でも抵抗なくそれを繰り返している。 一方、当然といえば当然なのだが、僕以外のスタッフはゆっくりと昼食をとりに上がる。食事の後ゆっくりしているのだろう。僕みたいな貧乏性で暮らす必要はない時代だから、それはそれでいいと僕も思っている。そうした光景を見ていて、一つ僕もわがままをさせてもらおうと考えた。それは毎日午後4時から再放送されている水戸黄門を見るということだ。なんとなく居心地は悪いが、夏の盛りのその時間帯に薬局に来てくれる人はそんなにいない。だから僕もその時間帯はおおむね手持ち無沙汰にしているのだが、その手持ち無沙汰を薬局ではなく、2階で実演しようと思ったのだ。東野英次郎ふんする水戸黄門だから、なんとなく古典のにおいがしてなかなかいい。人情物に涙さえ浮かべてみていると、そして最後の印籠の場面が近づいてくると、なぜかほぼ決まったように階下から漢方の患者さんが来られたから応対するようにと呼ばれる。今週は今のところパーフェクトだ。何でこのタイミングでと毎日のように悔しがっている。勿論階段を下りたところで、薬剤師モードに一瞬にして変われるが、日々の偶然がおかしくてかなわない。  「この紋所・・・」を見ることが出来ない水戸黄門は、不完全燃焼の極みだ。泡の出ないビール、溶けたカキ氷、断罪されないあいつら。