確信

 今度の日曜日は、県北の久世町に野外の和太鼓演奏を聴きに行く。嘗て妻と一度行ったことがあるのだが、どの道を通って行ったのか一向に覚えていない。覚えているのは、久世町に入ってすぐ真正面に、大きな山々が連なっているのが見えたことくらいだ。頂に未だ雪をかぶっていたから、早春だったのだろう。これが中国山地なのだと感動したのだけ覚えている。  今回は岡山道を通ることにした。インターネットで調べると、岡山からは1時間くらいで行けるらしい。しかし、何となく北に向かっていくというのは慣れていないので不安で、あれこれと情報集めをしている。一人で行って一人で帰るのだったらここまでナイーブにはならないのだが、かの国の子達に日本の文化に触れてもらいたいから、数人連れていく約束をしている。事故など決して起こしては許されるものではないから、結構緊張する。 病院の処方せんを持って入ってきた老人は、軽四トラックでやってくる。「お父さんが亡くなってからどのくらい経ちますかな?」なんて毎回父のことを話題に出してくれる。余程好印象だったのだろう、父は毎回褒められる。結構親しくしていたみたいだから、年齢を尋ねてみた。すると91歳だという。その年齢で車を運転してやってくるのだから、そして到底91歳には見えずに10歳やそこらは若く見えるが、「元気な身体をもらって幸運ですね」と褒めた。「運転も牛窓の田舎道だったらそんなに心配もないでしょうから」と、ここは結構妥協気味に話した。本当は田舎道でも危険だと言いたかったのだが。するとその老人は「今日は軽四トラックで来ましたけど、普通車も持っているんですわ。それで岡山だって倉敷だって行きますよ」とびっくりするようなことを言った。岡山も倉敷も、僕だってたいぎになるくらい車が多いのに、91歳で1時間以上運転して行くのだそうだ。本人の体力は勿論素晴らしいが、そして判断力なども素晴らしいが、歩行者や車はどうかとなると、心から喜ぶことは出来ない。ただ、県北に行くことにストレスを感じている僕とは逆で行動的なのには感心した。  生きていくのに繊細がいいのか大胆がいいのか分からない。職業柄繊細な人が多くやって来るが、長所と短所がせめぎ合っている場合が多い。僕は短所を少しでも多く長所にする仕事だと思っている。健康な体さえ維持していればそれは出来る。僕は長年の経験でそのことを確信している。