薄情

 「もうこれで笑ってこらえて。北へ行っても同じことだから」今度会ったらこう言おうと思う。  何かしたいことはない?どこか行ってみたいところない?と時々全員に聞くが、なかなかどこに行けば楽しいのか分からないみたいで答えは滅多にない。地名で言うと、東京と京都しか上がってこない。それもそうだろう、逆に僕がかの国でどこに行きたいかと尋ねられても同じことだろうから。せいぜい北と南の嘗ての首都の名前くらいしか知識がないからあげようがない。  この時期多くの子が言うのが「雪を見たい」だったから、今月北の方に雪を見に連れていってあげる予定だった。中国山地に行けばいいと息子が教えてくれ、僕では心許ないので連れていってあげるといってくれた。僕も彼女たちも既にその心積もりでいるが、今日の大雪(この辺りではの話)で何年ぶりかで辺り一面雪景色になったから、これでこらえてもらおうと思った。恐らく北の方に行っても、積もっている雪の厚さが違うだけで、同じような光景だろう。スキーでもしたいというなら別だが、触れて戯れるくらいなら今日の雪で十分だ。  昼前まで来店する人もいなかったから今日は事務仕事がすこぶるはかどった。数年に一度の雪景色でもはしゃぐ人はいない。それよりもあの懐かしい言葉がやはり多く聞こえた。 「きたねえもんがふったなあ(汚いものが降ったね)」この辺りでは、雪の後の挨拶の決まり文句だ。北国のように厳しいながらもその恩恵を受けているのとは異なり、ただただ迷惑と感じるのだろう。さすがに積もったばかりの雪景色はきれいだと感じないこともないが、多くの人はその後の溶け始めて泥と一緒になった姿を想像するのだ。それが雨と違って長く残るから、汚いものに見えてしまうのだ。  なんだか情緒を全く解せない野蛮人みたいだが、僕が幼いときからこの挨拶は変わっていない。南の方から来た素朴な子達の感動に水を差すようなことはしたくないから、決して彼女たちの前で口にはしないが、災害が少ないので有名な県で暮らす人間の薄情だろうか。