数字

 調剤をした後、「何かあったら電話をして!電話番語は・・」「5466じゃろ」「よく覚えているね、その前に局番の・・」「34をつけるんじゃろ?わかっとる」まるで反射のように出てきたのだが、その男性は牛窓の人ではない。市外局番も全く違う所の人だ。もっと言えば、九州の出だから、この辺りのことには疎いはずなのだが、疎いどころか、まずほとんどの人が覚えてはくれない単なる薬局の電話番号をすらすら言ったのには驚いた。もっとも、岡山県にやってきて、あるところでそれはそれは熱心に奉仕活動をしているから、その延長で僕の電話番号も覚えてくれたのかもしれない。一見、威勢のいい九州男児そのものみたいだが、意外と繊細なところを持ち合わせているのだろう。そうしたアンバランスが往々にして人の魅力になる。僕のように見るからに容姿端麗で、知性と教養が溢れんばかりの人格者は魅力に欠ける。この長年の僕のコンプレックスを慰めてくれるのが最近は「アサヒ淡麗グリーンラベル」だ。  この男性が僕の電話番号と同じように多くの人の番号を覚えているのかどうか分からない。尋ねてみれば良かったと今は思うが、恐らくまるで電話帳のように多くの人を覚えているのだろう。この種の人は時々いて驚かされることがある。  僕の友人の法務局出張大好き人間はプレートナンバーを覚えるのが得意だ。どうも競馬競輪で鍛えたのだと思うが、かなりたくさんの地元の普通の人のプレートナンバーが出てくる。その才能を職業に使えばよかったのだが、賭け事の方が当然面白かったのだろう。  数字にまつわる特技を持ち合わせていないので、と言うより、どちらかと言えば数字から逃げたい方なので、どうでもいいようなことに俄然才能を発揮する二人に、才能?を見出したりする。数字に長けた二人にそれによる損得はないようだが、偉人にも異人にもなれない庶民のなんと罪のないこと。