東京バナナ

 ある若いお母さんが、お子さん達の夏休みのために東京に家族旅行をした。そのお土産の東京バナナも嬉しかったが、立ち話で教えて貰った一つのエピソードも楽しかった。早速自慢げに夜、息子に教えたら、彼は知っていた。知らないのは僕と妻だけだった。 浅草に行った時にはとにかく中国人が多くて、その喧騒に圧倒されたらしい。それは世界のどこに行っても最早よく見かける光景だから仕方ないとして、話題が途端にトイレに飛んだ。それだけ強烈だったのだろうが、聞かされたこちらも早く誰かに教えてあげようと思うくらいだったから、やはり興味深い内容だった。 中国のトイレットペーパーは水に流すことが出来ないくらいまだ日本に比べたら粗雑なものらしい。だから中国ではトイレの中に使用済みのトイレットペーパーを捨てる容器があるらしいのだ。日本に来ている中国人は、本国と同じようにトイレットペーパーはトイレに流すことが出来ないと思いこんでいるから、当然容器に捨てる。本来なら「トイレに流せます」と中国語で案内すればすむことだが、そのことに気がつかずトイレの床に無造作に捨てられたりしたら大変とばかりに容器を設置したのだろうが、そのことでもう日本でもトイレットペーパーは流すものでなく容器に捨てるものになってしまった。「日本人は親切だから」と彼女は分析していたが、わざわざ必要のない容器を置いてあげるその親切さ故に、本国と同じ流さないシステムが完成されてしまった。  郷に入ったら郷に従う習性はどうやらあの国の人には通用しないらしいから、自国にいてもこちらがあわせる理不尽さに残念な気はするが、そうした人達にも頼らざるを得ない現在の経済力のなさを嘆いた方がいいのかもしれない。嘗て日本人が外国でやって来た、札束で精神を踏みにじる行為を今日本人が受けている。因果応報と言えば言える。嘗ても現在もほとんど無関係に暮らしている僕としては「お互い静かに暮らそう」辺りで折り合いをつけたいところだ。