事実

 「世の中、何の病気もなく元気な人も一杯いるでしょう。どこが違うんでしょうね」と電話の向こうで言うが、あながち一人言ではないのだろう。ただ、そう言われても僕は答えることも出来ないし、答えを持ってもいない。他の人なら「たたりじゃろう」と答えるのが常だが、心が折れそうな人にそうした答えは許されない。まして、それ相応の年齢で、それこそ専門的な職業につき、それなりの知性を備えている人だから、ギャグで返したりしたら傷口を拡げてしまう。  彼のその問は、多くの人が発したことがあるのではないか。病気に限らず、我が身の不運を嘆くときに良く用いる言葉だ。我が身の幸運に気がつき喜ぶことは滅多にないが、不運なら拾い上げる必要もないくらいストックがある。幸も不幸も、どうも絶対的なものではなく、相対的なものでしか測れないみたいだから、つい冒頭のような嘆きが出るのだろう。誰より幸運で、誰より不幸かも問題らしくて、「相対的」も普遍性より寧ろ個人的な関係こそが問題になることも多い。  みんながさらけ出せば、そんなに差がないことは分かるだろうが、みんなが不調を隠して演技しているから、他人は健康で幸せそうに見える。華やかなスポットライトを浴びている若い人間達の体調不良がしばしば報道されるようになったが、舞台に上がる人間も、金を払って舞台を見上げる人間も、同じように悩み苦しんでいる。  どこが違うんでしょうねと言う問に対して、どこも違わないでしょうねと返してあげれば良かったと思うが、恐らくそれでは何の慰めにもならないだろう。体調不良の人に朝から晩まで会う職業の僕だから言えることで、他分野の人には分からない。ただ彼らの唯一の救いは、目の前で汚い白衣に身を包んだ不健康そうな男が、健康相談をしているという事実だろう。