美学

 その男性は空を見上げ詩を読んでいたのだろうか。頬を撫でる風に語りかけていたのだろうか。それとも何度も目の前を飛び交うツバメの羽音を見つけようとしていたのだろうか。 一度薬局に入ってきた男性が、すぐに外に出て、薬局の駐車場に立ち空を見上げ、なにやら喋っている。まるで吟遊詩人のようでもあり、悟り人のようでもあり、芸術家のようだった。  彼が数分経ってから再び薬局に入ってきたから「何を感じていたの?何に感性を揺さぶられていたの?」と尋ねると「いえ、会社に連絡を入れていたんです」と答えた。「でも、自分は今空に向かってずっと話していたではないの?」とたたみかけると「いや、調剤器機の修理方法について上司に聞いていたんです」と答えた。「でも自分は携帯なんて持っていなかったではないの」とほとんど詰問調になる僕に向かって「これが携帯です」と見せてくれたのは、補聴器みたいなものだった。「それなら聞くことは出来そうだけど、マイクはどこにあるの?」と尋ねると、マイクも補聴器みたいな所にあって、骨電動で口から音を耳の所まで伝えるらしい。 これには驚いた。マイクもいらないんだ。でも、せめて何かの道具らしき物に向かって話をして欲しい。そうしないと、春先に駅の中で喋り続けている人達と同じに見られてしまう。公衆電話がなくなってから路上で、あるいは群衆の中でプライバシーをかなぐり捨てて話している人が増えたが、それでも携帯を持っていれば電話の相手に向かって話しかけているのが分かる。ところが補聴器タイプだと、完全に独り言に聞こえてしまう。だから詩を詠んでいる人に見えたり、虚空に向かって喋り続けている人に見えるのだ。  技術の進歩についていく必要を全く感じないから、どんな革新的な物にも驚くほど冷静だが、せめて電話する光景くらい、美学とまでは言わないが、秘めたるものを残しておいて欲しい。