鋳型

 決して造り(構造)の話をするのではない。9割9分の人はどんなにあがいても福山雅治にもなれないし、能年玲奈にもなれないのだから。以下は表情についての話だ。  時に、どんな環境がその様な醜い表情を成人してから作ったのかと思うような人がいる。持って生まれたものではなく、明らかに成人してからだろうと思う。余程のことがない限り、幼いときは、少年少女、いや青年と呼ばれる頃までは、人はおおむね美しいものだ。その後その美しさを奇蹟のように保つ人も中にはいるが、多くは次第に輝きを失っていく。ただ老化は決して醜いものではなく自然の摂理に従順なだけで問題はない。ところが冒頭で述べたように、驚くほど醜さを表情に漂わせる人がいる。そしてそのほとんどの成因は、心の卑しさだと思う。 猜疑心?卑怯?独善?偽善?狡猾?高圧?厚顔?どんな単語がぴったしなのかわからないが、恐らく列挙したような心模様のなせる技が表情に出ているのだと思う。いわば顔は心の鋳型なのだ。心の歪みの通り、顔の表情も歪んでしまう。 自分のことは棚に上げさせて貰うが、やはり表情の良い人、表情美人と日々関わりたいものだ。日常の質がさもないと劣化してしまう。如何にももったいない話だ。