アグネスラム

 およそ35年ぶりだ。浦島太郎までは行かないが、その変貌ぶりには驚いた。いちいち上げればきりがないが、一言で言えば浦島太郎に居場所はなかった。 僕が入っていった時、若い制服姿の男性が深いおじきと共に「いらっしゃいませ」と挨拶をしてくれた。他の店員にもすれ違うたびに挨拶をされた。昔なら入ってすぐに沢山の台が迫っていたが、今日通りすがりに入ったところは充分すぎるくらい、言い方を変えれば、がらんとしているくらい玄関にスペースを取っていた。僕はお目当てのトイレを借りたのだが、とても綺麗で清潔で、ここも又とても広くて、水も石鹸も、手を乾かすことさえ全て器機に触れずに自動的に行われた。午後から参加した漢方の講演会場のホテルより余程贅沢なトイレだった。  当時よりずいぶんと清潔になり、店員も若くて礼儀正しかったし、制服姿の女性店員の姿で、どこに入ってきたかと一瞬惑うくらいだった。ただ難点が二つあった。その為にここにはとても長く留まれないと思った。青春時代の6年間、毎日数時間入り浸っていたのが嘘のようだ。嘗ては流行歌が音量一杯で流されていただけなのだが、そこでは、機械の音かはたまた効果音か知らないが、音楽などとても聞こえないような音で溢れていた。とても心地よいなどとは思えなかったし、闘争心を煽られるようなものでもなかった。多くの先客達は何事もなく熱中しているが、僕にはただただ不愉快な騒音でしかなかった。  もう一つは機械そのものだ。一面光っているのだ。ぎんぎらぎんに光り輝いている。ぎんぎらぎんが何百台も勢揃いしている光景は目がくらみそうで、不快感を感じた。腕に覚えがある僕にとっては、釘こそ命なのに、ほとんど釘など見えなかった。銀や青に光る背景に僕ら青春時代のアイドルのアグネスラムが微笑みかけていた。あの光をじっと見続けることはとても出来ないと思った 目的を達して改めて見てみると、駐車場には立派な車が一杯だ。当時柳が瀬の薄暗いアーケードをくぐって、皆が授業を受けている時間からタバコをくわえて玉の行方を目で追っていた胡散臭い学生など一人もいない。昼の日中から一体どんな人間がしているのだろうと、自分のことは棚に上げていた自分以外の身持ちの悪そうなおじさんやおばさんもいない。当時そこしか行き場がなかった人が今はどこに行っているのか知らないが、胡散臭そうな人間が集まるところではなくなったみたいだ。  トイレだけ借りたのがばれないように、店内をゆっくりと一周した僕こそが、若くて礼儀正しかった店員達には胡散臭かっただろう。