「昨日この辺りも雨が激しかったかな?」と尋ねられて「激しいとは言えないのではないかな、雷も鳴ったけれど、大粒の雨とは言えないだろうね」と答えた。基準が分からないから曖昧な答えをしたのだが、「滝のように道路を水が流れたよ」と言われると、たいした雨ではなかったというのが正しいだろう。  こう尋ねられたのは隣町に住んでいる女性だ。父の代から通ってきてくれている。隣町といっても牛窓との丁度境界に位置しているところの人で、文化圏から言ったら寧ろ牛窓に属する。ただその方の所までには二つの峠を越えなければならない。車で行くと10分くらいだろうか。僕の昨日の雨が大したことはなかったというのを聞いて彼女は「夕立は馬の背を越すと言うからな、峠の一つで全然違うんじゃろうな」と感慨深げに言った。僕は結論部分はさすがに分かったが、馬の背を越すと言う表現は分からなかった。この諺が全国共通か、極めてローカルなものか知らないが、ひょっとしたら父がやっていた頃も同じような会話をしていたのだろうかとふと思った。我が家にとっては3代に渡るごひいきと言うことになる。恐らくそう言った方はもっとおられるのだろうが、口に出して昔を懐かしむ雰囲気が今の薬局にはないから、話題には出してもらえないのだろう。病院の処方箋を調剤しだしてから、薬局は念願の?医療機関に指定され、井戸端ではなくなった。 今では馬の背どころか、はるか彼方から来て下さる人や相談して下さる人が増えたが、ミニチュアダックスの背辺りの人も大切にしている。昔ながらの雑病の相談も専門的な漢方相談も処方せん調剤も医療機関などとかたぐるしい響きとはほど遠い精神でやっていきたい。  薬剤師悲願の諸々は僕にとては所詮彼岸の悲願でしかない。