正体

 ホームセンターの中を歩いているとこんなものがこんな値段で買えるのかと驚かされることが多い。それこそホームセンターが誕生した頃の驚きは今の比ではなかった。憧れの商品がすごく距離を縮めた時代だ。 本箱やタンスや机は僕らが若い頃は一つそろえると一生ものだった。一生どころか我が家にはまだ両親が使っていたものが未だ健在だ。二生ものだ。下手をしたら娘達も今毎日使っているから三生ものだ。特別高額なものを揃えていたわけではなく、所詮庶民の持ち物なのだがそれでもそのくらいの寿命はある。だからホームセンターでまるで数時間働いて得る給料で買えるものが溢れたときには、自分が豊かになった感覚ではなく、豊かさの定義が破壊されたような感覚になったものだ。そのころ商品と言うものが単なる物に変化したのかもしれない。単なる物に価値を与える余裕はないから、一時の耐久だけを期待して、見栄えのよいものに手を出す。壊れるのを前提に買うのだが、ほとんどはその期待に応えて数年で壊れてしまう。  数日前に見切りをつけた僕の身長より高い木製のラックを駐車場に出していたら、昨日の台風の雨で濡れていた。ただ濡れていたのなら気にはならなかったが、なんとそれがしわっているのだ。僕の膝の高さくらいのあるケースの上に置いていたのだが、弧を描いて地面に着くくらい柔らかい曲線を描いていた。数日前までは少なくとも堅固に生薬の重力に耐えていたのに。それが一日の雨を吸っただけで弧を描いている。驚いたことに触ると、まるで土のかたまりを指で壊すかのように簡単に崩れた。試みに板を折ってみたら簡単に折れた。よく見ると表面の薄い化粧板の下はコルク状の物だった。だからこのラックは正式に表現すると木製ではなく、コルク製だったのだ。表面が綺麗に化粧板で被われていたから全部が堅固な木で出来ているのかと思っていた。だから数年の寿命でも納得がいくような値段の設定が成り立つのだ。おそらく廃材かリサイクル品を利用しているのだろう。正体見たり。  でも勿論それは悪いことではない。それはそれでそれ以上でもそれ以下でもない。それぞれがそれをどの様に感じるかだけのことなのだ。だからその事に罪はないのだ。ある人には物の命のはかなさを語りかけ、ある人には使い捨てを奨励しているのだ。善や悪で色分けするものでもない。一皮剥けばに驚くことはない。一皮むけばの人でこの世は成り立っているのだから。