てっぱん

 今週から始まった朝のNHKテレビの連続ドラマ「てっぱん」のオープニングを見ていて何故か僕は涙ぐんでしまう。年齢と共に涙腺が緩んでくるのは仕方ないらしいが、ちょっと重症かもしれない。 バイオリンのゆっくりとした郷愁を誘う奏でももちろんだが、タイトルバックで踊る人達のどこにでもいる様が好きだ。何ら特別ではない、毎日を懸命に暮らす人達の日常のちょっとした挑戦がほのぼのとして気持ちよい。あの踊りが元々尾道の街にあったものかどうか知らないが、フォークダンスや盆踊りや若者ふうの踊りなど色々な要素を取り込みすぎに見えるから、番組のために作られたものだろうか。もしあの踊りが本当にあるのなら一緒に踊ってみたいような気がする。ああ、街って、町って、こんな人達によって成り立っているんだと、安心させられる。人が街(町)の中で濃密につながっている事に気づかされ、その一つ一つの構成員がいとおしくなる。茶髪の青年、短いスカートの女子高校生、着物姿の女将、店番をする老人、農家の人達、漁師、少年野球の子供達、商店主、部活の高校生、商店街を歩く人達、工場で働く人、恋人達、どこにでもいる人達の思い思い?の踊りが共に生きるってことを教えてくれる。 田舎に帰ってきたことの最大のメリットは、このような情景に触れて感動する心も持てたことではないかと今更ながら思う。都市部で競うことを強いられて暮らしていたら、このような時計の針を止めるからこそ得られる感傷に浸るようなことはなかったと思う。争わなくても生活は成り立ち、争わなくても向上し、争わなくても認められることを知った。手を伸ばせば人がいる。当たり前の事かもしれないが、手を伸ばせば学者がいて、手を伸ばせば政治家がいて、手を伸ばせば駅員がいて、手を伸ばせば役人がいて、手を伸ばせばサラリーマンがいて、手を伸ばせばホームレスがいて・・・・・これらとは似ていて全く違うのだ。肩書きはいるけれど、人はいないではつまらない。