凶暴

 ついに出た、夏にこの言葉。さすがにこの暑さは誰にとっても尋常ではなく、虫にだってあたりたくなるのだろうか。 冬、薬局の中で良く耳にする言葉に「今年の風邪はきつい」と言うのがある。その後に、高い熱が続くとか、咳がなかなか収まらないとか、鼻汁が緑色になるとかの具体的な症状説明が続く。僕はその言葉を聞くと必ず反論する。「自分が風邪を引いたからそう感じるだけで、引いていなければたかが風邪くらいって言うだろう」と。風邪はいつひいても所詮風邪でしかない。体力さえあれば数日で治ってしまう。逆に養生を怠れば長引く。余談だが、風邪の患者さんにはヤマト薬局ではカゼ薬よりも体力の薬を重視する。その為に敢えてカゼ薬は製薬会社の高い薬を使わずに、独自のカゼ薬を作って極力安く抑えることにしている。体力を回復してもらえる薬にお金を使って欲しいからだ。話を戻すと、きついという人の中で養生をしている人などいない。遊びすぎか働き過ぎの人達だ。人は自分に災いが及んだ場合だけそれを深刻に受け止めるが、対岸の火事なら気にもとめない。それが人の常だし、それだからこそそこそこ健康的に暮らすことが出来るのだ。いちいち人の不幸を思いやっていては身が持たない。僕ら凡人は、善意も善行も身が持つ程度ってのが最低限必要な条件なのだ。身の丈以上は命取りになってしまう。 そこで出たのが「今年の虫は凶暴だ」発言だ。昨日胸をはだけて見せてくれた奥さんが使った言葉だが、確かに胸の辺りをかなりかきむしっていて、広範囲が真っ赤になっていた。説明によると、お風呂場に置いていたタオルに蟻がいっぱいさばっていたというのだ。頭に来たからお風呂に浸けて殺したと言うが、蟻が水死するようには思えない。蟻の体は水をはじくことが出来ると聞いたことがあるし、実際水に沈めてもすぐに浮いてきて見ている前ではなかなか溺れ死なない。蟻の逆襲を受けたのかいくつもの刺された跡があり、炎症を起こしている。偶然居合わせた他の女性も心当たりがあるのか、「今年の蚊も刺されたら激しいよ」とお互いの些細な体験で盛り上がっていた。夏の暑さで餌がないからだと答えを二人で導き出して納得していた。 自分1人の個的な体験だけで、一気に一般論にまでにしてしまうのは人の常で、責められるべきものではない。寧ろ人間的な営みで親しみさえ覚える。誰も傷つけない飛躍に相づちを打っていれば相手も気が済むのだろうが、そこはいつもの僕の素直な心が黙ってはいない。「水につけて皆殺しにしたあんたの方がよほど凶暴だ」