階段

 何を思ったのか、講演が終わってからの挨拶で支店長?が「皆さんご存じのように、今生薬の供給が非常に不安定になっています。大切にお使い下さい」と、販売がすべての企業らしからぬ事を言った。売れればいい、業績こそすべての企業が口に出すような内容ではない。至極当然のことを言っているのだが、何となく奇怪な感じがした。 講演の中でも学術が、漢方薬をドラッグストアに降ろすのは止めましたと言った。理由は、さすがにドラッグストアは沢山売ることが出来るが、季節が過ぎれば全部返品をくらいとても合う仕事ではないらしいのだ。漢方薬も彼らにとっては季節商品で、アイスクリームやインスタントラーメンと何ら商材としては変わりないのだ。ただ、売れればいいのだ。販売に会話が必要ないのだから、商品に思いがこもることはないだろう。だから余ればメーカーに返品してしまえばそれですむ。しかし、漢方薬の材料は地球の限りある資源を、主に後進国の人達が懸命に収穫したものなのだ。先進国で暮らす人々のつまらない欲求のために製品化し、「ちょっと試してみる」為に浪費されることは許されない。  余ったものを返品されては経済的に合わないと言う理由は頂けないが、結果、僕が信頼しているメーカーの漢方薬が大切に扱われるようになることは歓迎だ。売り上げを上げるためになりふりかまわず販路を拡大したのだろうが、漢方薬をもの扱いしてはいけない。何のために漢方を愛する薬剤師が勉強し続けているのか考えて欲しい。 恐らく漢方薬以外の、ありとあらゆる資源が同じような状況の下に置かれているのではないか。ものを余り欲しがる方ではない僕の家だって、2つの部屋が永久に使われそうにない物で埋まっている。石油から作られたものか、森林を伐採して作られたものか、動物を殺生して作られたものか分からないが、使われない物のために限りある資源が姿を変える。経済の成長が本当の豊かさをもたらしてくれないことはもうハッキリした。ちまたに溢れる不幸が雄弁に語っている。地球が枯れる前に人の心が干上がって、自滅への階段を一段ずつゆっくりと下りているように見える。