脱輪

 オフレコの連発だ。数時間3人で話しまくったが、果たしてどのくらいの言葉が生き残れるのだろう。 そもそも組み合わせが不幸だ。漢方薬局紹介の連載もので、僕の薬局を取り上げたのがまず間違いで、それに輪をかけたようにインタビューする人間の人選が間違いだ。インタビューにやってきたのは、大学の後輩で、今は漢方メーカーで学術の偉い人になっているのだが、どうしても僕には彼が偉い人には思えない。同じアパートの人間だったから、彼が麻雀をするために大学に入ってきたことはよく知っている。僕みたいにパチンコをするために大学に入った人間にとってはすこぶる怠惰な人間に写る。  1年僕が先輩なのだが、途中で何故か同級生になった。その後又僕がリードして先輩として卒業していたと思っていたのだが、最近同じ年に卒業したことを知った。もっとも僕は卒業式に出ていないから、誰が一緒に卒業したかなど知らない。卒業など永久に出来ないものと思っていたから、式など最初から頭になかった。偶然入学して偶然卒業したようなものだ。麻雀狂いだから当然僕よりはるかに出来は悪いと思っていたのに、4年で卒業したというから僕のプライドが許さない。ところが今日インタビューの中でほろりと彼が薬剤師の国家試験に3回落ちたと自白した。そうだろ、そうだろ、だから僕の方がどう見ても優秀なような気がしていたのだ。これで溜飲が下がった。これから僕は優越感を前面に出して彼と接することにする。ついでだが、彼より下が彼の同級生にいるらしくて大学を8年かけて卒業したらしい。その根性には敬服するが、果たしてそこまでしてしがみつく価値があったのだろうか。その後その人がどうなったか聞いておくべきだった。 どれだけの言葉が生き残るかは、一緒にやってきた「ライター」と言う肩書きの人の手腕にかかっている。僕はその種の肩書きの名刺を見たのは初めてだったから一瞬考え込んでいたら後輩が「火をつけるライターではないですよ」と臭いしゃれを言った。やっぱり彼は学術という肩書きを返上するべきだ。僕はライターの方にいっさいの修飾を施さないことをお願いした。僕の写真を撮る変わりに大学時代の写真を格好いいから載せてくれるように頼んだのだが、それは断られた。でもさすがにその写真を見た時からライターの方の反応が違って、それまでは無言でマイクで音をひらっていただけだったのだが、写真と僕のオリジナル曲のテープで完全に話題がそれてしまった。聞けば待ったく僕と同じ年齢で、同じ時代背景を背負いながら生きてきたのだなと一気に親近感を持った。初めての肩書きの人だから僕が逆インタビューをして、その種の人達の仕事のほんの一端を教えてもらった。薬剤師よりは絶対格好いい肩書きだ。 帰り際に後輩が、取材の報酬としていずれ2万円出ると教えてくれた。お金が貰えることは知らなかったから「それなら毎月取材して、やらせでもなにでもするから」と提案したのだが勿論断られた。僕の正面写真を写すときに後輩が「白衣のボタンを留めましょうか」とひつこく言ったがそれはがんとして断った。30数年一度も白衣の前を閉じたことがないのだから僕には不自然この上ない。  僕が薬剤師をやっていたり、彼が学術で活躍していたり、お互いどうにかなった時代に救われたような人間だが、今の若者達にも人生の脱輪を居直って楽しむくらいの余裕を社会が与えて欲しい。5年間パチンコに狂ったり、4年間麻雀に狂えば、それから後は働くことが楽しくなる。周回遅れでも見方によっては先頭を走って見えることもあるのだから、くよくよする必要はない。と言うより、僕らの人生劇場を見ている人なんていないのだから、一人芝居で熱演する必要はない。落ちこぼれる自由を奪う不自由さには鉄槌をくだせばいいのだ。