水路

 自分より大きい猫を追っかけたのはテリトリーを荒らされたせいではない。一緒に遊んでもらおうとしただけなのだ。自分が犬と思っているのかどうか疑わしいから、友情が空回りした。  白い大きなネコが逃げたのはその友情が煩わしかったのか、それとも紐を握っている僕を恐れたのか。ただそのネコの逃げっぷりが素晴らしかった。気になったので目算で測ってみると、幅は1.5mくらいはゆうにあると思えた。コンクリートで固められた深い水路を助走もせずに飛び越えたのだ。人間で言うと立ち幅跳びだ。ネコのジャンプ力ってすばらしい。人間の比に治すと果たしてどのくらいを飛んだことになるのだろう。水路の向こうで悠々と腰を下ろしこちらを見る目は勝ち誇っていた。 犬はネコになれないし、猫も犬になれない。僕もAにはなれないし、Aも僕にはなれない。僕はそれでいいと思っている。一人として同じ人間はいない。その無数の個性が相補いながら生きていくのが世の中だ。違うことを恐れる余り、自分の個性を抹殺する若者がいるが、それは余りにも短絡的だ。「人と同じよう」が何も保証してはくれない。作らないことが作ることより生産性があるとは思えない。多くを隠すことより、多くを表現し作り出す方が同じ時間を生きるなら価値があるし楽しい。  「毎日みんなから悪口を言われてそのたびに傷付いて、もう何のために生きてるかわかりません。もう早く楽になりたいです」僕はこのメールをくれた若い女性がいとおしい。この苦しみが決して無駄にはならないことを信じていた。人生は苦しいが、苦しいことばかりではないことを彼女にも知って欲しかった。僕の未熟な漢方薬、岡山弁、そして勿論主治医の先生。以前のメールから今は「最近何だか生きてるのがすごく楽しいです!先生方のおかげです」に変わった。  昨日彼女も深い水路を飛び越えた。白ネコの跳躍力を手に入れた。飛び越えた先には新しい世界がある。孤独を映す水面をのぞき込む彼女はもういない。