吉本

 大学病院の医師が「東洋の神秘ですか?」と言ったらしい。  僕にとってはすこぶる簡単な理屈だったのだが、そんな簡単な理屈が大学病院では通るはずがない。僕なんか足がぱんぱんに腫れていたら、筋肉部分に水が溢れているのだろうと簡単に推論してそれをさばくような漢方薬で治すのだが、さすがに大学病院では、あれでもない、これでもないと可能性のある病気を次々と除外していく作業をする(除外診断)。その検査が又大変で、勉強熱心なお子さんが学校を休むのは苦痛なのだ。松葉杖で歩かなければならない痛みよりひょっとしたらそちらの方が痛いかもしれない。でもさすがにそこまで痛めばそのお子さんも学校を休んで治療に出かけて行っていた。最終的には膠原病を疑われてその検査もしたらしい。でもお母さんはその結果が分かるまでの期間が心配だったので漢方薬を取りに来てせっせと飲ませてあげた。お子さんも今回はさすがに真面目に飲んでくれた。今まではお母さんの愛情が結構空回りしていたが、さすがに今回は何も言わずに飲んだらしい。  検査の結果が出るまでの待機中に漢方薬で治ってしまった。でも結果を聞く日を予約していたので仕方なく病院に行った。その場での先生の言葉が冒頭の言葉になったのだ。まず治ってよかった。難しい病気でなくてよかった。この2つで僕なんかメチャクチャ嬉しいのだが、やはり偉い先生は素人のようには喜んではいられない。僕なんか足許にも寄れないような人なのだから今更どうでもいいのだが、本当は東洋の神秘ではない。言うならば東洋の、それも昔の人の知恵なのだ。神秘でもなんでもなくて、膨大な人体実験を重ねて、それを克明に書き写してきた昔の人の業績なのだ。僕は難しそうな漢方薬の診断は出来ない。4千年前の診断方法が現代に役立つとは思えない。だからそんなもの僕は重要視しない。病院で検査してもらった診断結果を拠り所に、漢方薬を、その字の通り薬として使うだけだ。現代医学の診断を重視しないで漢方的な判断に固執したら治療成績が落ちると思っている。まさに神秘的なものは排除しなければならないのだ。漢方的な診断方法を会得しない劣等生の居直りに思われるかも知れないが、漢方が現代医学に優るなんてあり得ないから、謙虚に、又ちょっとだけずるがしこく高度に発達した現代医学の恩恵を頂戴しているのだ。治らなければ、治ってもらわなければ僕らの存在意義もないのだから。  当のお嬢さんが漢方薬をこれからも飲むか飲まないか尋ねに来たので、治ったらいらないと答えた。当たり前のことだが、数年ぶりに会えたお嬢さんを見て僕は嬉しかったことがある。その真面目一本に見えたお嬢さんが格好いいブーツを履いていたのだ。服装もおしゃれに見えた。東洋の神秘で治ってくれたのも嬉しかったが、それ以上に彼女がごく普通のお嬢さんの部分を持っているのが分かった方が嬉しかった。僕は多くのまじめ過ぎ病の人と関わってきているので、その予感がする子とは特に徹底してくだらないお喋りをすることにしている。時に怒られるが、治らないよりはいいのでますます僕は吉本になる。