伴走

 完治して去っていった人だからそれはそれでもうすんでいるのだが、何故かずっと心の中でひっかかっていた。どこか気が弱そうで、話していても目を合わすことは余りなかったが、どうしても治りたかったのだろう真面目に岡山市から通ってきた。一日中不安感と、いてもたってもおれないような焦燥感、息苦しくなって呼吸が出来ないような感じで苦しみ、食欲、やる気、根気、元気のすべてが失せていた。今ではこのような症状の人は沢山相談に来るから珍しくはないのだが、10年前は薬局ごときで手を出してはいけないものと思っていたから、どちらかというと避けていた。 当時僕は彼を治すことに必死だった。顔立ち、姿が息子に似ていると言う単純な理由からだったが、彼がやってくる度に息子のことを思いだしていた。1週間に1回来てもらいつまらないおしゃべりをして帰っていった。次第に自信をつけ仕事も何ら不安なくこなせるようになって去っていった。その後おりに触れ思い出した。敢えて尋ねるようなことはしなかったが、連絡がないことはきっといいことなのだろうと自分に言い聞かせていた。  昨日お兄さんが偶然やって来た。そして彼のことを尋ねると、弟はあれ以来メチャクチャ元気になって地元の野球少年団の指導をしていると言うことだった。勿論仕事も何ら支障なくできているらしい。元々真面目そうな青年だったから、会社の人からも好かれるに違いない。何となく心の隅に引っかかっていたものがやっと解決した。それも理想的な形で。 彼を含めて、笑顔を忘れた善人達を見るのはとても辛い。でもその逆に、少しずつ笑顔を取り戻してくれる過程に伴走できるのは幸せこの上ない。彼らには謙遜を教わり、多くの感動をもらう。このような深い人との関わりをもっと若い時に出来ていたら、もう少しは努力して自分を磨いていたのにと悔やまれるが、皮肉にも今役に立っているのは当時の落ちこぼれ仲間の中でもがいていた窒息寸前の息苦しさだけなのだ。