大人

 心配しなくても、いつの間にか大人になるものだと感心した。幼いときから知っているから、本来的に悪人ではないことは分かっていたが、親の過度な心配を聞かされるばかりしていたら、どれだけ道を逸れていっているのだろうかと危惧していた。法律を犯しそうな悪友もいないから、彼の日常はまさに青春の表現だと大目に見たらとこちらは思うが、親としたらその程度では妥協できないのだろう。我が子に関して評価がとても低く、それを毎日のように聞かされていたら、何となく勝手な印象をインプットされてしまっていた。 無口でなかなか自分の思っていることを表現できなかったが、1年ぶりに会った彼は、必要なことを全て話した。それも若者訛りではあるが敬語を使いこなして。田舎だから敬語はなかなか身に付かないが、何処で覚えたのか心地よい喋りだった。思えばそんなことが永久に出来そうになかった彼だが、青春前期に身につけてしまったみたいだ。大したものだと感心すると共に、親に心配する必要はないよと早く伝えたかった。  それにしても親はなかなか大変だ。社会の評価より、より高く我が子を評価することは難しい。謙遜ではなくどうしてもよその子は他山の石になってしまう。愛が深くなればなるほど我が子に対する評価が低くなる。こうあって欲しいと思う余り、現実との乖離に苦しむ。ところが親も又同じことを思われて育ったのだ。昨夜来た彼など、当時の僕などからすれば好青年だ。あの状態であれだけ親から心配されるのだったら、僕の親なんか大変だったろうと思う。ストレスは半端ではなかったのではないか。それが証拠に当時の数年間に及ぶ罪滅ぼしに以後何十年とかかっている。  具体的には言えないが僕の青春の表現も結構きわどかった。何処でどう救われたのか分からないが今こうして水面で息をしているのが不思議なようだ。潜ったまま、ずっと水中を泳いでいても良かったのに。ひたすら何もすることがなかったから、ひたすら追い求めることもせず、ひたすら怠惰を決め込んだ。ひたすらもここまで徹底すれば何も生まなかった。