普通

 普通ってなんでしょうねと言う問いかけをメールでもらった。僕は会ったことはないが、勝手にその女性の輪郭を作っていて、どこにでもいる善良な女性だと思っている。一生懸命仕事をし、お子さんを育てているが、ちょっとシャイなだけ。いわゆるごく普通と思っている。 過敏性腸症候群の人がしばしば使う普通の生活とは、お腹のことなど気にすることなく毎日を楽しく暮らすってことだと思うが、一般論で言うとそれは普通の普通ではない。お腹のことなんか生活全般に渡って考えれば一部のことに過ぎない。しかし当事者にとってはそれが全てなのだ。全てだからそれが解決しさえすれば、決して高望みではない普通が手に入ると思っている。 敢えて尋ねられて、普通は現在では普遍性を余り持たずにすこぶる個人的な尺度になりつつあるのを感じた。普通という言葉を使うのがはばかれると言ってもいい。普通でないものもあっという間に普通になり、あっという間に忘却の彼方に消える。普通が本来持っている許容量を拡大したから、多くの市民権をばらまいた。普通の反対語が異常なのか希少なのか分からないが、普通に拘る必要がないほど現代の普通は寛容だ。  望むなら、どう見ても素敵な人がありふれた普通などを憧れとせず、今のままで自信を持って生きて欲しいと思う。恐らくあなたも又、普通のど真ん中に位置しているのだから。