再生

 毎日送られてくる医薬学の情報に目を通していたら、何年後かにはどんな病気でも克服できるような時代がやってきそうだ。何年後というのが問題で、出来れば全部、僕に間に合わせて欲しい。例えば今日のニュースなどすごい。早くしてってお願いしたいくらいだ。読売新聞で報じられていたらしいが、抜けた歯の跡に新しい歯を再生することに成功したと言うのだ。勿論マウスでの実験だが50日後には隣の歯と同じ大きさになり、なんと歯の中心部には血管や神経も出来て、刺激を与えると痛みも感じるらしい。まさに歯そのものだ。 舌を当てるとどうもかぶせものが取れているのかざらざらする。ここ数日の話だ。痛みがおかげでないから放っているが、いずれ浸蝕を繰り返し痛みを感じるようになるだろう。歯医者さんに行くたびに歯が小さくなり、なんとなく気が重くなる。決して復活しないと言う前提があるからなのだが、今日のニュースのように復活するとなると話は別だ。前を見ることが出来るのは希望なのだ。全ての面で前が少なくなってきたから、希望という感情とはすこぶる縁遠くなった。復活を最高の教義とするところに身を委ねている割には、復活を信じることが出来ずに、あの世を待たずに彷徨っている。若くしてパチンコ台の間を彷徨い、 牛窓に帰ってからは彷徨うところを求めて彷徨い、老いて何処を彷徨うのだろう。  いずれ身体のどの部分も再生がきくようになるのだろう。パーツを入れ替えて何処まで生きるのだろうと思うが、想像しただけでもグロテスクだ。どの部分をとって人は人であれるのだろう。まあ、そんな心配は僕らの世代では必要ないか。でもせめて歯だけでも急いで。